ここ華陰は、楊修の故郷とされている。この墓は衣冠塚のようだ。
封土はかなり小さくなっているが、その前には「漢主簿楊修之墓」の碑が立つ。
魏長城遺址。戦国秦と魏の境界線である。楊修墓は長城の上。
基本情報
【訪問時期】2005年7月8日 / 2008年8月15日
【関連人物】楊修
【文物保護】
ちょこっと解説
 楊修、字は徳祖。司隷弘農郡華陰県(現在の陝西省華陰市)の人。建安年間、孝廉に挙され、郎中を任じる。後に曹操のもとで主簿となる。楊修の家系は名門で、高祖父楊震から父楊彪の四代に渡って司空、司徒、大尉を輩出している。建安二十四年(西暦219年)、曹操によって処刑されている。その理由ははっきりしていないが、曹植の師として行き過ぎた行為があったため、曹操も楊修を疎み殺害を決めていたともされる。
探訪後記
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】陝西省華陰市
【 タグ 】楊修
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2018年9月23日 20:45
【更新日時】2018年9月23日 20:46