灌子山の山上に残る、張魯の娘である張琪瑛の墓。
墓前には「漢五斗米教首張魯之女琪瑛之墓」と刻まれた石碑がある。
墓のすぐそばにある女郎祠。中には張琪瑛が祭られている。
女郎祠内部。張魯の娘である張琪瑛の像。
文物碑: 2000年8月1日公布 漢中市重点文物保護単位「東塔」
基本情報
【訪問時期】2005年9月30日 / 2009年6月24日
【関連人物】張琪瑛
【文物保護】2000年8月1日公布 漢中市重点文物保護単位「張魯女墓」
ちょこっと解説
 張琪瑛は、張魯の娘である。張魯が曹操に投降したのち、張魯は琪瑛を曹操の子曹宇に嫁がせようとする。しかし馬超を慕う琪瑛は、張魯が曹操に従って北方へ移るときにも従わず、沔陽に残って出家、灌子山で五斗米教の伝承を続ける。しかし建安二十二年(西暦218年)、山中に暮らす琪瑛は辱めを受けたのちに自殺する。享年22歳。
 そして張琪瑛は死後、ここ灌子山にて葬られる。現在、その墓前には「漢五斗米教首張魯之女琪瑛之墓」の石碑が立てられている。また傍らには女郎祠が建てられ、張琪瑛が祭られている。
探訪後記
 張魯女墓、よくこんな人物の墓が残っていたよな。まあ、いちおう三国関連の遺跡なので訪れてみることにする。勉県の街中で近くへ行けるバスを見つけて乗り込む。ネットで調べたときには中壩村となっていたのでその村で降りたのだが、まだけっこう離れた光明村にあることがわかった。なんだ乗ってきたバスの終点まで行けばよかったんだ。小雨の降る中を歩き続ける。やっと女郎山へ到着。山を登っていくとあった。けっこう立派な墓じゃないか。娘の墓は残っているのに、張魯墓ってのはないのかな。もう一つ張魯義女墓ってのもあるらしいが、木が一本残っているだけらしい。次回機会があればまた探してみようか。
関連遺址
張魯義女墓祠
張魯義女墓祠

[ 勉县 ]
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】陝西省勉県
【 タグ 】張琪瑛
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2018年12月19日 19:53
【更新日時】2019年1月12日 21:20
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