王家山山上の孟達墓。孟達が蜀へ帰参しようとしたが、司馬懿によって殺害される。
孟達の遺体はここに埋められたとされ、高さ3mほどの封土が残る。
文物碑: 1957年5月31日公布 陝西省文物保護単位「孟達墓」
基本情報
【訪問時期】2005年7月16日 / 2011年2月2日 / 2016年3月29日
【関連人物】孟達
【文物保護】1957年5月31日公布 陝西省文物保護単位「孟達墓」
ちょこっと解説
 孟達、字は子敬(後に子度と改める)。雍州扶風郡(現在の陝西省興平市)の人。魏太和二年(西暦228年)、上庸(現在の湖北省竹山県)の孟達は、魏に背いて蜀へ帰参しようとする。だが司馬懿の率いる軍には敵わず、城を捨てて旬陽木蘭寨まで兵を退くが苦戦を続ける。しかし司馬懿の軍に退路も断たれ、討ち取られてしまう。
 孟達墓、孟達の遺体は、現在の王家山に埋葬されたとされる。封土は約3m、傍らには清代の塔がそびえる。
探訪後記
 旬陽の街中からも小さな塔が見える。それを目印に進んで行くのだが、どこから登っていいのかがなかなかわからなかった。たぶん霊崖寺森林公園からじゃなくても登れる場所はあるのだろうが、登りやすい公園の方から行くことにした。山道を歩くので、方向がわかりにくいのだが何とか到着。塔の後ろにある土盛りが孟達墓だ。確か文物碑があるはずなのだが、見あたらず。近くの民家から人民おばちゃんが出てきたので聞いてみるが「なくなったよ」と言う。まぁ、なくなったのなら仕方がない。人民おばちゃんにお呼ばれして、家でしばらく休ませて貰う。外は蒸し暑くて大変なのだが、家の中は意外と涼しくて過ごしやすい。孟達墓に関する新聞記事などを見せて貰ったりした。文物碑は割れて埋まっているらしいので、またの機会に探してみよう。
 旬陽へ訪れるのも二回目、もちろん孟達墓へ行くだけなのだが。霊崖寺森林公園という名称はすでになくなっているようだ。登り口の階段も崩れている。道路脇の小さな道から山へ登っていくことにした。疲れる。さて、なんとか孟達墓へ到着。特に変わったところはなかったが、近くの民家は新築されており、前回休ませて貰った家はなくなっていた。しばらく孟達墓を眺めていると、若い兄ちゃんに話しかけられた。ついでなので「石碑はなくなったのか」と聞いてみる。家の後ろに残っているらしいのだが、文字のない部分が少しあるだけだった。その後はまた家に招かれて休憩。羊肉湯などをご馳走になる。スープがけっこういける。若い兄ちゃん曰く「文物局にも言ったんだけど、ぜんぜん直してくれないよ。塔も少し傾いてきているし」と。まぁ、観光地にもなり得ない場所に金をかけることもないだろうな。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】陝西省旬陽県
【 タグ 】孟達
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2017年12月1日 19:43
【更新日時】2019年1月12日 21:18
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