清乾隆四十九年(西暦1784年)の石碑「対面古陳倉古道」と刻まれている。
文物碑: 鳳県重点文物保護単位「“陳倉道”碑」
ちょこっと解説
陳倉道、秦代にはすでに開通していた。嘉陵道とも呼ばれる。陳倉(現在の宝鶏)西南の大散関から嘉陵江に沿って略陽、そして漢江支流に沿って漢中まで延びていた。蜀建興六年(西暦228年)に諸葛亮が率いる蜀軍が陳倉道を北上し、陳倉城を包囲するが、城を守る魏の郝昭の前に打ち破ることができず、撤退することとなる。
陳倉古道遺址、清乾隆四十九年(西暦1784年)の碑には「対面古陳倉道」と刻まれている。鳳県重点文物保護単位。元は屋外に立っていたが、倒れたために向かい民家の納屋内にて保管されている。
陳倉古道遺址、清乾隆四十九年(西暦1784年)の碑には「対面古陳倉道」と刻まれている。鳳県重点文物保護単位。元は屋外に立っていたが、倒れたために向かい民家の納屋内にて保管されている。
探訪後記
国慶節の連休でここまでやってきた。宝鶏からは、鈍行列車で。鳳県は、確か対外未解放でバスなどで通過するだけでもダメだったはず。でもそれも一昔前の話になっちゃったのかもしれない。鳳県火車站に到着後、バスで街中まで。さてそこからどうやって連雲寺村まで行こうか。どうやら漢中行きのバスがそこを通過するようなのだが、帰りも列車で戻ろうと思っていたので、タクることにした。そして山道を走り連雲寺村へ。村に到着後、タクの運ちゃんが聞き込み、陳倉道の碑を探す。タクの運ちゃんが話しかけたじいさんが知っていた。というかこのじいさんの家の納屋に碑が保管されていた。中へ入って見せて貰った。電灯もないので暗い。フラッシュを持ってきていなかったので、カメラの感度を上げて撮影。なんとか見られる程度に撮すことができた。話によると、まだ塚とかがあるらしいのだが、特に三国志関連というわけでもなく、そこまでは行かなかった。村からもう少し南下すると陳倉道なのだが、特に何も残っていないようだ。また機会があれば散策してみようかな。
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