貂蝉洞の入口に祠が設けられ、その中には貂蝉像が祭られている。
貂蝉洞の入口付近は、穴も大きくない。中には入られないようだ。
近くに立つ貂蝉洞の石碑。
米脂県城にある貂蝉文化広場に立つ貂蝉の像。
基本情報
ちょこっと解説
伝説では、東漢末年、ここに北山郎という一人の青年狩人が住んでいた。あるときイノシシがウサギを追い回しているのを見かけた彼は、イノシシを射てしとめ、ウサギを救った。そのウサギは、恩を感じて白髪の老人と化し、牡丹という孫娘を彼に娶らせる。二人は、この洞窟で生活を始めた。次の年、牡丹は身ごもる。間もなく出産というときに北山郎は、一匹の銀貂を見かけ追いかける。その銀貂は洞窟内に入って行き見えなくなった。すると洞窟内から赤子の泣き声が聞こえ、北山郎は子供が生まれたことを知る。北山郎は、牡丹に銀貂の話しをし、吉兆だと思って生まれた女の子に貂蝉と名付けた。十数年後、貂蝉は美しい娘と育ち、一人の戌辺将軍に洛陽まで連れられて行った。その後、司徒王允に義女として迎えられたとされる。
探訪後記
楡林から列車に乗って米脂に到着。夜遅かったので、街まで歩きホテルを探す。泊まったホテルの近くに女性の像が立っているのが見えた。暗くてよくわからなかったが、たぶん貂蝉像だろうと思った。ネットで調べていたときに、米脂も貂蝉の故郷として売り出し中という記事をみた。だから貂蝉像があってもおかしくはない。次の日の朝、行って確認してみると、やはり貂蝉像だった。そしてさっそく貂蝉が生まれた場所とされるところへ。杜家石溝鎮へ行くバスが見つけられなかった。たぶん本数は少なくてもあるはずなのだが。仕方ないので、タクシーを捕まえる。タクの運ちゃんは、ちょうどそこの出身で貂蝉洞のこともよく知っていた。「見に来る人は多いけど、みんながっかりして帰って行くぞ」などと口ずさんでいる。しかし一度は見ておかないと。そして到着。街からは、そんなに遠くないのだが歩いて行くにはけっこう大変な場所だ。運ちゃんと一緒に洞窟まで。途中、貂蝉洞の石碑があるのだが、見事にぶっ倒れていた。文字の面が下になって。洞窟の入口は、施錠されていて中へは入られない。でも覗いてみると貂蝉像が安置されていた。ちょっと不気味だけどね。そして引き返そうと車に乗ると、運ちゃんが「あそこにも碑があるぞ」と停まった。見に行ってみるとこれも貂蝉洞の石碑だった。ま、こういう場所は石碑の一つでもあるとありがたいんだよね。そして街まで戻る。寒い中のひととき。
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