馬超が曹操を突き刺そうと伸ばした槍がささった樹があった場所。
文物碑: 2000年12月15日公布 潼関県重点文物保護単位「馬超刺曹古槐遺址」
ちょこっと解説
三国演義、第五十八回「馬孟起興兵雪恨、曹阿瞞割鬚弃袍」で、漢建安十六年(西暦211年)の潼関の戦いにおいて、西凉軍に敗北を喫した曹操が鬚を切り、直垂を捨て逃げている時に馬超に追われ、危うくその槍に突き刺されそうとなった舞台の場所とされる。その時に馬超が誤って突き刺した槐木が、東大街の福盛東中薬店の敷地内に残っていた。槐は高さ5m、直径は2mもあったとされ、馬超が槍を突き刺したと言われる跡があった。1957年に落雷を受け、地中に埋もれてしまう。その後、掘り出されて文化館へ移された。
探訪後記
潼関の県城から古潼関のあった秦東鎮へ向かう。車掌のオバチャンには「秦東へ行く」と言ったのだが、おらの旅行者らしい姿を見たオバチャンは「あんた、どこまで行くの。古潼関なら港口で降りなさい。」と言われた。目的の場所も古潼関のすぐ近くにあるようだから、言われたとおり港口でバスを降りた。降りた場所で地元人民に「馬超の槐樹はどこ」と聞くと、道路の向かい側にある樹木と石碑が目に入った。「ああ、あそこなのね」と向かっていく。はい、到着。なんだかあっさり着いてしまったな。しばらくそこで写真を撮ったりしていると、隣の民家から人民オヤジが出てきて、おらの周りでフラフラとしている。なんだろう。でも悪いことをする人間には見えないので、放っておく。しばらくするとその人民オヤジが話しかけてきた。「おまえ、馬超の槐樹を見に来たんだろう。でもそこの樹木は全部偽物だぞ。本物は石碑の後、そこのゴミ溜めのところに立っていたんだ。もうなくなってしまったぞ。」と言われる。さすが中国と言わざる得ない素晴らしい文物の扱い方だ。確かに石碑にも昔あった樹木は雷に打たれて裂け、その後に県城にある文化館へ移されたと書いてある。そして県城へ戻ったあとに文化館へも行ってみたのだが、どこにもそれらしき樹木はなかった。いったいどこへ行ってしまったのだろうな。まあ、どちらにしても演義系らしいので、話半分ということで。
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