陳倉城は、上城と下城の2つがあり並んでいる。上城は秦の武公、下城は魏の郝昭が建設した。
郝昭が諸葛亮の攻撃を防いだ城。現在は城壁跡が残るのみ。
基本情報
【訪問時期】2017年5月1日
【関連人物】郝昭
【文物保護】
ちょこっと解説
 陳倉城、孔明の第二次北伐が始まると、蜀軍が陳倉道を進むであろうと考えた曹真は、郝昭に陳倉城の修築を命じた。蜀軍は数万の兵で陳倉城を包囲するが、寡兵を以って陳倉城を守る郝昭を打ち破ることができず、兵糧の欠乏で撤退することとなった。
 陳倉城遺址、陳倉城は2つの城が並び、1つは上城と呼ばれ、秦の武公が建築したもの。もう1つは下城と呼ばれ、上城の東側に魏の郝昭が建築したものである。上城、下城とも現在は城壁跡が残るのみとなっている。
探訪後記
 陳倉城遺址の位置は、だいたいわかっていた。Google Earthのストリートビューでそのあたりを見ていると、何やら文物碑らしきものが。これはもしかして「陳倉城遺址」の文物碑なのかもしれないと思っていた。そして、また宝鶏を訪れる機会があり、その場所へと行ってみることにした。水路にかかる橋を渡り、あの文物碑を確認してみると、なんと「代家湾遺址」と刻まれていた…。どうやら新石器時代の遺構らしい。しかし、そこから少し上の方へ登っていくと、城壁跡のような地形が残っている。場所的には陳倉城があったところで間違いはないようだ。あとは文物碑でも立てられていればなあ。
位置情報
在野の士であるあなたはこの位置情報を閲覧できません。仕官申請しますか。
投稿情報
【カテゴリ】陝西省宝鶏市
【 タグ 】郝昭
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2018年2月19日 18:33
【更新日時】2019年1月12日 21:27
Loadingいいね!187