もとは天水市の建設路にあったが、こちらに移設された。
諸葛軍塁の石碑も複製され、立てられている。
中央に立てられた諸葛孔明像の近景。
基本情報
【訪問時期】2005年9月24日 / 2009年7月1日
【関連人物】諸葛亮
【文物保護】
ちょこっと解説
 言い伝えでは、北伐時、諸葛亮は蜀軍兵士達が異郷の水土によって体調不良を起こさせないために、「郷土袋」と呼ばれる郷土の土が入った袋を携帯させていた。この土を食事に混ぜることによって、水土が体に合わず体調が崩れることを防ごうとした。そして蜀軍が天水に到達、この地では水質も大変よく、郷土袋の土も使う必要がなかった。このため、兵士達は天水城東門外に郷土袋の土を捨てたため、大きな土盛りとなった。東門外は平坦な地形であったため軍事訓練を行うには良い場所で、諸葛亮はその土盛りの上に登り指揮を執った。そして後に諸葛軍塁と呼ばれるようになる。
 諸葛軍塁、元は建設路東端辺りに残っていたが、1950年代には一度整地され民宅用地となっている。1989年に政府が原形を元に修復、張愛萍将軍の書による「諸葛軍塁」の石碑を建てたが、再び酷い損傷を受けてしまう。2002年、天水市政府は諸葛軍塁の移転整備を決め、現在の場所で再建されている。
探訪後記
 元々の諸葛軍塁は、天水の地図にも記載されており、最初はそこへ向かった。ビルの裏辺りにそれらしい場所があったのだが、もはや原形を留めていないような感じだった。ネットでの情報を元に、新しく造成された諸葛軍塁へ行ってみる。こっちは公園の中に作られており、孔明像などが立っている。諸葛軍塁の碑もあるのだが、これは新しいものなのだろうか。移転という形になったが、消滅してしまうよりはかなりマシだ。でもできれば元の場所で適度な保護をして残していって欲しいものなのだが。まぁ、この程度の遺跡では無理だろうな。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】甘粛省天水市
【 タグ 】諸葛亮
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2017年1月23日 18:58
【更新日時】2019年1月12日 21:16
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