鄧艾親子が蜀侵攻のために築いた桟道跡。
道路西側の崖に梁を通した穴がいくつも残っている。
梁となる角材をこの穴に通した。
文物碑: 2004年8月20日公布 宕昌県文物保護単位「鄧鄧橋三国桟道遺址」
基本情報
【訪問時期】2009年6月28日
【関連人物】鄧艾鄧忠
【文物保護】2004年8月20日公布 宕昌県文物保護単位「鄧鄧橋三国桟道遺址」
ちょこっと解説
 蜀景耀六年(西暦263年)、魏の鄧艾と鍾会が蜀へ侵攻、沓中で駐屯していた姜維は剣閣まで兵を退いて鍾会を防ぐが、鄧艾は陰平道から侵攻を開始する。鄧艾と鄧忠の親子は陰平道へ進むために隴西から岷江の流れに沿って兵を進めるが、宕昌まで進むと岷江の両側には山がそびえ立ち、岩石の峡谷で鄧艾軍は進めなくなってしまう。回り道をすることもできず、鄧艾はここで兵営を張ることにした。そして一部の兵には山肌を削らせ、一部の兵には木を切らせ、桟道を造ることに成功する。そして鄧艾軍は綿竹まで進み、蜀軍の諸葛瞻を打ち破って、劉禅を降服に追い込んでいる。
 鄧鄧橋桟道遺址、岷江花石峡に位置する。花石峡は大花石峡と小花石峡に分かれ、大花石峡は全長25km、小花石峡は大花石峡の一部で最も険しい一段の2.5km。ここに鄧艾親子が桟道を築いたことから鄧鄧橋と呼ばれるようになった。212国道の西側の崖に桟道の梁を挿した穴がいくつも残っている。
探訪後記
 中国のネットで情報を見つけ、一度行ってみたかった場所だ。孔明が北伐時に築いた桟道は有名だが、鄧艾も築いていたとは知らなかった。甘粛省隴南は四川地震の影響も多少あり、道路がボロボロで移動にかなり時間がかかる。今、道路を補修しているが、まだ時間がかかりそうだ。宕昌へは、岷江に沿って進むので山越えもなくすんなり行けるのかなと思っていたのだが、結局官亭鎮まででも3時間以上かかってしまった。官亭鎮で鄧橋村のことを聞くと、まだ5km先だということがわかる。乗ってきたバスでそのまま行けるとのことだったが、面倒くさいので歩くことにする。生憎、到着してから雨が大降りになってきた。しかし、しばらく歩いていると雨も止む。鄧橋村の入口には吊り橋がある。そこで人民に鄧鄧橋桟道遺址のことを聞いてみと、すでに通り過ぎていた。確かに通った場所にそれらしい崖があったので、気にはなっていたのだが。戻ってしっかり見てみると、確かに文物碑も立てられていたし、崖にはいくつも四角い穴が開いていた。この穴、けっこう大きい。かなり太い木材を挿していたんだろうな。しかし、好きとはいえここまで来るのはかなり大変だな。蘭渝鉄路が開通すれば、隴南まで来るのもかなり楽になりそうだけど。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】甘粛省宕昌県
【 タグ 】鄧艾鄧忠
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年12月25日 20:44
【更新日時】2019年1月12日 21:12
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