![](/png/28008.png)
![](http://sanguo.china-world.info/images/28008_01.jpg)
祁山堡の南側、高台に残された孔明の陣地跡とされる。
![](http://sanguo.china-world.info/images/28008_01-80x60.jpg)
![](http://sanguo.china-world.info/images/28008_02.jpg)
けっこう高さのある土壁が残されている。
![](http://sanguo.china-world.info/images/28008_02-80x60.jpg)
![](http://sanguo.china-world.info/images/28008_03.jpg)
内部にも入られる。偵察用の穴から外を眺めることも。
![](http://sanguo.china-world.info/images/28008_03-80x60.jpg)
基本情報
ちょこっと解説
観陣堡遺址は亮故塁とも呼ばれ、「水経注」にも記載されている。観陣堡は、諸葛亮が北伐で初めて祁山に出たときに軍を駐屯させた場所とされる。観陣堡の壁面には七つの偵察穴があり、祁山堡のある北側の壁面には三つの偵察穴がある。そのうちの一つは祁山堡がよく見渡せる位置に開けられている。祁山堡自体は魏軍の陣地であり、その有利な地形的条件によって諸葛亮も攻めあぐねたとされている。観陣堡と祁山堡は同年代の遺跡であるということがわかっている。また観陣堡の下にある3本の柏の木は諸葛亮が植えたものとされ、孔明柏と呼ばれていた。
探訪後記
祁山武侯祠の東南側を眺めると、山上に要塞のようなものが見える。たぶんあれが観陣堡遺址だろう。とにかく行ってみることにする。祁山堡から下りて歩く。途中人民がいたのでちょっと聞いてみることにする。「あれって、観陣堡遺址でしょう」と聞くと、「観陣堡、知らないな。あれは何台っていうんだ」との答え。中国ネット情報では逆に「何台」は村の名前だけで、観陣堡遺址とばかり書かれている。「何台の近くには大きな柏がありますか」と聞くと、「あゝ、あるぞ」との答え。この柏、孔明柏と呼ばれている柏だ。やっぱり何台が観陣堡遺址だ。何台村から山へ登っていく。段々畑のようになっていて、麦が栽培されている。段差がかなりあるので登るのが大変だ。なんとか観陣堡遺址まで到着。本当に城壁のようになっている。でも本当に漢代の遺跡なのかな。この周辺の山の上にはこのような遺跡がたくさんみられる。いったいいつの時代のものなんだろうか。
位置情報
在野の士であるあなたはこの位置情報を閲覧できません。仕官申請しますか。
![Loading Loading](http://sanguo.china-world.info/WordPress/wp-content/plugins/wp-favorite-posts/img/loading.gif)