1985年に修復された程普墓。明清代には墓碑も立てられたが、残っていない。
現在の墓碑には「大漢副都督亭侯程普之墓」と刻まれている。
文物碑: 1985年10月21日公布 瑞昌県重点文物保護単位「程普墓」
基本情報
ちょこっと解説
程普、字は徳謀。幽州右北平郡土垠県(現在の河北省唐山市豊潤区)の人。孫氏三代に仕え、数々の戦功を挙げる。盪寇将軍となった後に亡くなっている。「程氏宗譜」と「瑞昌地方誌」にある記載では、「程普于建安二十年(西暦215年)病逝,死后葬于桂林崗。」となっている。瑞昌の程普墓は病死した場所に造られた墓と考えられる。明万暦四十五年(西暦1617年),清咸豊五年(西暦1855年)の二度、「大漢副都督亭侯程普之墓」の碑が建てられている。現在の程普墓は1985年に修復されたもの。
探訪後記
南昌から瑞昌までは列車でやってきた。その方が速いし安い。瑞昌火車站に着いたときには、すでに日が暮れていた。火車站周辺はかなり寂しいし真っ暗。市バスで街中へ向かったが、こちらも寂しい。まぁ、泊まった宿はけっこう綺麗でいい部屋だった。翌朝、ちょっと寒い。広東から北上してきたのだが、やっぱりここまで来ると気温がかなり下がっている。さて、程普墓へはバス1本で行けるようなので、荷物を全部持って移動。バス亭のある場所まで歩いていく。行きたい方向の逆側からバスが来た。ここで待っていればバスが来るだろう。ずっと待っているが一向にバスが来ない。どないなっとんねん。実は往路と復路で違う道を走っているらしい。仕方ないので、もうちょっと歩く。そしてやっとバスに乗れた。終点でバスを下車。程普墓を探す。実はmixiで知り合ったハリジャンさんに墓の場所は聞いていた。彼が訪れたときには、樹木が多いしげり見つかりにくかったらしい。聞いたとおりに古い方の橋を渡る。すると墓らしいものが目に入った。あれか。時期も時期なので草木が茂っていないから、遠くからでも見えたのだろう。難なく到着。しかし、この程普墓の墓碑、そこらの人民墓のものとそっくりなんやけど。もうちょっと気を利かせてあげればよかったのに。
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