高さ2mほどの城壁跡が東西南北ほとんど残っている。
城壁跡の東北角に建てられた魏王廟。
魏王廟は未完成のまま放置。中には曹操の像だけがある。
基本情報
【訪問時期】2013年11月01日
【関連人物】曹操
【文物保護】
ちょこっと解説
 魏王城遺址、東西約720m、南北約420m、高さ約2~3mの城壁跡が残る。近年、東北角には魏王廟が建造され、その中には曹操像が祀られている。
 漢建安十三年(西暦208年)、赤壁にて大敗を喫した曹操は、黄河北岸まで兵を退く。その後、とある夏の日。曹操は部下を率いて黄河一帯の軍営地を巡察する。そのとき曹植が新鮮な棗を携え、曹操に薦めた。その棗を口にした曹操は、あまりの美味さに驚き、その産地を問う。曹植が「楽陵国の棗です。楽陵、安楽を得るの意です」と答えると、曹操は頷いたとされる。そして曹操が自ら指揮し、楽陵国に屯田し開墾。城を築き、宮殿も造成される。そして漢建安二十年(西暦215年)、曹操はこの場所へ再び戻り、しばしの時を過ごしたとされる。
探訪後記
 楽陵の中心部あたりで8路バスに乗ろうとしたのだが、バスの案内看板が上りも下りも同じで、いったいどっちの方向へ行くバスに乗ればいいのかわからなかった。地図を見て調べているうちに8路バスが通り過ぎていく。どうやらそのバスに乗ればよかったようだ。次のバスが来るまで、寒い中を待つはめになってしまった。こういうよく利用する人間だけがわかるようにしかなっていないところが、中国らしいと言えば中国らしいのだが。さて、大顧村路口で下車、そこから西へ向かって歩く。もう北の方には城壁跡らしいものが見える。たぶんあれだろうなと思いながら、北の方へ進める道まで進む。畑の中を突っ切ると時間もかかるし、体力の消耗が激しいからな。そして魏王城遺址に到着。城壁跡が東西南北に残っている。一番状態がいいのは東側のようだ。南側から入り、北側まで進む。そして東側の方に廟らしき建物が見えた。そこまで行ってみると、城壁跡の東北角に魏王廟が建てられていた。しかし、建物はもうボロボロで、雑草が覆い茂っている。建物の中には魏王曹操像があるだけ。壁には落書きだらけ。せっかくの魏王廟がこの有様か。まあ、城壁跡は思っていたよりもすごくよく残っており、ちょっと感動してしまったよ。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】山東省楽陵市
【 タグ 】曹操
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2017年6月18日 20:57
【更新日時】2019年1月12日 20:31
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