呂蒙城、現在は碑文があるのみ。後方は丁奉を祭った靖江王廟。 碑文には、明代に呂蒙城が長江に沈んだことが書かれている。 近くにはこんな石碑もあった。ここにも関羽が来たのか。 基本情報 【訪問時期】2014年12月31日 【関連人物】呂蒙 【文物保護】– ちょこっと解説 漢建安二十二年(西暦217年)、魯粛が没する。孫権は魯粛の代わりとして呂蒙を漢昌太守とし、陸口に駐屯させる。そして呂蒙は陸口に城を築く。東は陸水に接し、北は長江、西と南は護城河(現在の玉帯河)に囲まれていた。後に呂蒙城と呼ばれるようになり、また陸口城とも呼ばれた。江岸が崩れたことが原因で、明天啟二年(西暦1622年)には、城が完全に河に沈んだとされる。 探訪後記 ここは2008年にも訪れているのだが、そのときは呂蒙城遺址の碑文がまだなかった。確かに呂蒙城はこの辺りだとは聞いていたのだが、何もなかったので確証が持てなかった。そして最近になって、開封太郎先生が訪れ、碑文が出来ていたと教えてくれた。また赤壁周辺に行く機会があったので、ここも再訪してみる。靖江王廟前にも碑文が出来ていたし、ここもやっと三国遺址を保護しはじめたのかな。このままいい方向に向かって欲しいものである。 位置情報 在野の士であるあなたはこの位置情報を閲覧できません。仕官申請しますか。 投稿情報【カテゴリ】湖北省 嘉魚県【 タグ 】呂蒙【公開範囲】都督 大将軍 丞相【掲載日時】2017年6月24日 22:34【更新日時】2019年1月13日 09:17 いいね! 235