逍遥津から敗走する孫権が、馬に乗ったまま飛び越えた橋があった場所とされる。 2008年頃までは、この形の石碑が置かれていた。 新しくなった石碑。こちらは寿春路側。 こちらは淮河路側。細い路地が飛騎橋巷。 基本情報 【訪問時期】2008年5月21日 / 2017年4月30日 【関連人物】孫権 張遼 【文物保護】– ちょこっと解説 逍遥津之戦、漢建安二十年(西暦215年)に孫権が自ら10万の兵力を率い、合肥に攻め込む。曹軍の張遼、李典、楽進らが守る合肥には僅か7000の兵しかいなかった。しかし、張遼は800の精兵を選び出し、孫権の陣へ突入する。孫権の軍は大混乱に陥り、退却を始める。孫権は凌統に守られながら馬を走らせるが、逍遥津の渡しにある橋はすでに曹軍が破壊しており、渡られない。すると谷利の勧めで、馬を走らせた勢いで向かい側まで飛び越えたとされる。この橋は飛騎橋と呼ばれるようになった。現在は細い路地に地名が残るのみ。 探訪後記 位置情報 在野の士であるあなたはこの位置情報を閲覧できません。仕官申請しますか。 投稿情報【カテゴリ】安徽省 合肥市【 タグ 】孫権 張遼【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相【掲載日時】2017年9月10日 19:02【更新日時】2019年1月12日 20:06 いいね! 383