司馬懿が公孫淵討伐時に故郷へ立ち寄り、郷土の人々を招いて酒宴を開いた場所。
温城の虢公台、現在でも高さ10mほどの城壁跡が残っている。
文物碑: 2003年3月6日公布 温県文物保護単位「摩天嶺虢公台賀酒台遺址」
基本情報
【訪問時期】2013年11月10日
【関連人物】司馬懿
【文物保護】2003年3月6日公布 温県文物保護単位「摩天嶺虢公台賀酒台遺址」
ちょこっと解説
 魏景初二年(西暦238年)、魏明帝曹叡は都督舞陽侯司馬懿に、遼東太守公孫淵の討伐を命じる。司馬懿は行軍時に故郷へ立ち寄り、郷土の人々を招いて虢公台上で酒宴を開いたとされる。後に虢公台は賀酒台と呼ばれるようになる。
 司馬懿賀酒台は上苑村の北側摩天嶺上に位置し、温城の南門外にあったとされる。東西約500m、両端の幅は約300m、中間点の幅は約100m、高さは約10m。
探訪後記
 司馬懿故里へは何度も来ている。以前は安楽寨の司馬懿像しかないと思っていたのだが、まだいろいろとあることがわかった。安楽寨の村内には司馬故里旧址の石碑もあった。探してみるもんだよな。そしてお次は虢公台を探してみる。上苑村の北側を中心にフラフラと歩いてみる。人民に聞いてみるが「そんなものはない。」という答えしか返ってこない。おかしいな。近くに土盛りが見えたので行ってみたが、ただの窯のようだ。人民が言うには「ほら、あそこ石碑があるでしょう」と、確かに石碑が見えるのだけれども、それは明らかに墓っぽい。どうもその温氏の墓と勘違いしているようだ。つまり、知らないってことね。諦めきれずに更に歩く。すると遠くに長く続く土盛りが目に入った。近づいてみると石碑もある。「おお、あれに違いない」と狂喜しながら近づいてみると、その石碑は温国故城遺跡と刻まれてあった。むう、虢公台じゃないのか。その周辺を歩く。すると畑の中にまた石碑が。むう、また違うじゃない。石碑を立ててくれるのはいいのだけれども、お目当てのものじゃない。「やっぱりないのかな。」と思いながら歩く。するとまた石碑が目に入った。その後ろ側にはかなり高さのある土盛りが続いている。そして近づいてみると摩天嶺虢公台賀酒台遺址と刻まれているじゃないですか。やっと見つけたよ。石碑の裏には司馬懿の名も見てとれる。苦労したなあ。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】河南省温県
【 タグ 】司馬懿
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2017年12月5日 21:36
【更新日時】2019年1月13日 08:43
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