蔡邕故里と言われている場所。蔡邕像が立つ。
蔡邕像。蔡邕の故里だと言われている場所は、他にもいくつかある。
蔡邕の娘、蔡文姫の像。蔡邕像より小さい。
近年再建された蔡邕祠。中には、まだ何もない。
ちょこっと解説
蔡邕、字は伯喈。兖州陳留郡陳留県圉(現在の河南省杞県圉鎮鎮)の人。東漢文学家、書法家。中平六年(西暦189年)漢霊帝崩御後、董卓が司空となり、名高い蔡邕のことを聞きつける。董卓は蔡邕を高く評価し、僅か3日間で御史、持書御史、尚書と昇格させ、巴郡太守、侍中となる。初平元年(西暦190年)には左中郎将を拝したことから、後に蔡中郎と称されることとなる。董卓は蔡邕を尚父と呼び敬った。董卓が王允等によって誅殺されると、蔡邕は董卓の死を悼む。王允は、蔡邕の博識を惜しみ漢史の編纂を続けさせようと考えたが、大尉馬日磾の反対により、蔡邕は獄死することとなった。
蔡邕故里がどこであったかは、多数の説がある。尉氏県蔡庄鎮もそのうちの一つ。近年、尉氏では数多くの蔡邕に関する石碑が出土しており、そのどれにも蔡邕故里は現在の蔡庄鎮だという記載があり、それが根拠になっている。また、蔡庄鎮には蔡邕墓も残されている。現在は蔡邕祠も再建された。
蔡邕故里がどこであったかは、多数の説がある。尉氏県蔡庄鎮もそのうちの一つ。近年、尉氏では数多くの蔡邕に関する石碑が出土しており、そのどれにも蔡邕故里は現在の蔡庄鎮だという記載があり、それが根拠になっている。また、蔡庄鎮には蔡邕墓も残されている。現在は蔡邕祠も再建された。
探訪後記
尉氏に到着して、まずは阮籍啸台を見に行く。そのあと、蔡庄行きバスを探すのだが、なかなか見つからない。バスターミナルからも出ていないし、街の南外れへ行ってみても違う行き先のバスしかない。そのバスのオバチャンに聞いて、やっと蔡庄行きバスを見つけることができた。こんな場所から出ているなんて、わかんないよ。蔡庄に到着。さっそく人民に聞き込み開始。「蔡邕像はどこにあるの」と聞いてみる。すると「あそこにいる人が蔡さんだから聞いてみな」と言われた。蔡庄だけあって、蔡さんはたくさんいるようだ。そして話を聞いてみると、ちょっと遠いので連れて行って貰えることになった。おらは電動スクーターを借りて出発。しばらくすると畑の中に廟のような建物が見えてきた。その建物の後ろに蔡邕像と蔡文姫像が。この建物は最近建てられた蔡邕祠らしい。もう一人人民じいちゃんが登場、いろいろと説明してくれた。「この近くに蔡邕墓もあったんでしょう」と聞いてみると、「まだ残っているよ。石碑もある」と教えてくれたので、予定していなかったが行ってみることにした。さすがに蔡邕の末裔だけあって、そういうことはちゃんと知っているのだな。
関連遺址
蔡邕故里
[ 杞县 ]
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