王粲がここで隠居し、住居を構えていたとされる。当時使用した井戸の跡。
現在は井戸らしきものは見当たらないが、割れた井蓋だけが残る。
基本情報
ちょこっと解説
王粲、字は仲宣。兗州山陽郡高平県(現在の山東省微山県両城鎮)の人。建安七子の一人。荆州刺史劉表の元に身を寄せるが、重用はされなかった。そのため、後に曹操の元に帰するまでは、襄陽の万山で隠居生活を営んでいた。王粲井は、王粲の住居があった場所に残されている。后世において、山上に寺院が建立され、僧侶たちもこの井戸を利用していたとされる。現在は、割れた井蓋の石が僅かに残り、地表には窪みが確認できる程度。
探訪後記
王粲井、三国志遺跡巡りに興味を持った頃、もう10年以上前からその存在を知っていたのだが、当時は正確な位置に関する情報がなく、到達は無理だろうと思っていた場所だ。数年前にも万山に登って探してみたのだが、さすがに広い山の中で井戸跡一つを探し当てるのは、至難の業だった。中国のネットでは、中国の研究者たちが案内を連れて訪れている画像が幾つか載せられているのだが、やはりそれだけで位置を特定するのも無理だった。しかしピンと閃いた。そしてやはりその画像の中にヒントが隠されていた。それは位置を完全に特定できる情報だった。あとはそれを元に訪れるだけだ。そしてとうとう到達。到達してみれば、なんの見栄えもしない場所なのだが、やはりマニアとして一度は訪れておかなければな。
位置情報
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