言い伝えでは、喬公はここで暮らし、孫権の母である呉国太もよく訪れていたとされる。
「二喬故里」と刻まれた石。
大喬という橋はあったが、小喬はなかった。
喬亭村には、白壁の古い建物が残っている。
ちょこっと解説
喬亭村、現在では喬姓の村民はいないとのこと。しかし、周辺には「呉渓」や「皇田畈」などの地名が残り、それらは孫権の母親である呉夫人(後の呉国太)と関連があるとのこと。そして村には「静修堂」や「喬仙寓」の文字が残る建物がある。それらは二喬と関連があり、村には二喬に関する言い伝えが数多くある。大喬と小喬、その父である喬公は、この地で暮らしており、呉夫人が時折訪れて交流があったと言われている。後に孫策が廬江郡を攻め取ったときに、喬公が二喬を連れ孫策のもとを訪れ、孫策が大喬を、周瑜が小喬を娶ることになったとされる。
探訪後記
なぜかここにもある二喬故里、しかし説明を聞いてみるとなるほどなと思うこともある。ここに来る前に訪れた、永康にある孫権の末裔たちが住む村も呉国太が訪れていたという話が残っている。その村とここは、直線距離だと30kmほどしか離れていない。まあ、1800年も前の話がどこまで本当なのかはわからないが、いきなり作った話でもなさそうだ。喬亭もそれほど大きな村ではないが、清代の白壁の建物が残り、歴史はありそうだ。今後、二喬故里として売り出していくのかは不明だが、どうせなら二喬の像なども立てて欲しいものだな。
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