甄妃朝陽陵とされるが、封土はかなり小さくなっている。
封土上部に開いた穴からは漢磚が見えている。
甄妃墓の紹介など。最近はどうしてもこんな感じの掲示が多い。
基本情報
ちょこっと解説
文昭甄皇后。冀州中山郡無極県(現在の河北省無極県)の人。魏文帝曹丕夫人。魏明帝曹叡の母。もとは袁紹の次男袁熙の妻で、曹軍が冀州を平定し、鄴城を打ち破ったときに曹丕が妻として迎え入れる。魏黄初元年(西暦220年)になると、曹丕が郭皇后などを寵愛するようになり、甄妃は疎まれるようになる。翌年、曹丕から死を賜ることとなる。鄴城にて葬られる。後に魏明帝曹叡が即位後、司空王朗を遣わして寝廟を建立させている。魏太和四年(西暦230年)になると陵墓を移し、朝陽陵に葬られた。現在の甄妃墓が朝陽陵とされる。
探訪後記
だいぶん前に一度チャレンジしてみたのだが、真夏の暑さにへたれてしまい、たどり着けなかった。今回は107国道の柏庄からバイタクで訪れることにした。村に着いたはいいものの、甄妃墓は高い壁に囲まれてしまっていて、中に入られない。近くの人民に聞いてみると、鍵を持っている人が出張に行ってしまっていないとのこと。どこからか入られないか見てみたのだが、入っても出てくるときに壁を登られそうにない。せっかくここまで来たのに。仕方ないので、人民に「梯子を貸してよ」と言って粘ってみる。人民たちは笑って「梯子なんてないよ。ダメダメ」と言う。それでも諦めきれないので粘りに粘りまくる。すると人民の一人が「仕方ないわね」と言いながら家の中へ入っていき、鍵を取ってきてくれた。やっとのこと中へはいることができたよ。中には甄妃墓の紹介文なども作られていたのだが、それに使われている画がどっかのゲームから拾ってきたようなもの。なんだか遺跡とはかけ離れているような感じだな。肝心の墓の方は封土もかなり小さくなっており、頂点の部分は盗掘されたのか穴が開いており、そこからは磚石が露出していた。それでもちゃんと認識はできるていどに残されているのがうれしい。村民たちもみんな中へ入ってきて、あ~だこ~だと話をしている。まあ、今回はおらの粘り勝ちだね。ここへ何度も来るのは大変だからさ。場所的には曹操拴馬桩からも近いけどね。
位置情報
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