阿斗寨。海抜200mほどの山上、幅も200mほどの山寨。
阿斗寨は中山寨とも言われており、中山靖王が由来だとされる。
石寨門。中山寨の文字は劉禅のものと言われているが、定かではない。
阿斗寨上には、廟などが建てられているが、劉禅は祭られていない。
阿斗寨の説明が刻まれた石碑。
基本情報
ちょこっと解説
劉禅(阿斗は幼名)が魏に降り、安楽公に封ぜられる。その後、司馬昭親子によって幽閉された場所が阿斗寨と言われている。無能な人物と評されているが、蜀村の人々は劉禅が聡明で仁徳に溢れた人物だったと信じている。「蜀が恋しく思わないか」との問いに劉禅は「ここは楽しく、蜀を思い出すことはない」と答えたのも、無能を装って馬鹿な答えをすることにより司馬昭たちの猜疑心から逃れようとしたとされている。
阿斗寨、蜀村の東、万柏山山上に位置する。海抜は200m、東西200mほどの円形。中山寨と刻まれた寨門が残り、当時劉禅自らの書とされる。桃園結義の後、劉備は中山靖王の後裔と称し、苦難の末に蜀漢を打ち立てたことを思い出し、自らの不甲斐なさを嘆きながらも中山寨と名付けたとされる。また付近には阿斗墓もあったとされる。蜀村劉氏の祖塋とされ、1960年代には墓碑が出土しているが、龍泉ダムが完成後、ダムの貯水下に沈んだとされる。
阿斗寨、蜀村の東、万柏山山上に位置する。海抜は200m、東西200mほどの円形。中山寨と刻まれた寨門が残り、当時劉禅自らの書とされる。桃園結義の後、劉備は中山靖王の後裔と称し、苦難の末に蜀漢を打ち立てたことを思い出し、自らの不甲斐なさを嘆きながらも中山寨と名付けたとされる。また付近には阿斗墓もあったとされる。蜀村劉氏の祖塋とされ、1960年代には墓碑が出土しているが、龍泉ダムが完成後、ダムの貯水下に沈んだとされる。
探訪後記
蜀村は鶴壁の北端にあり、どうやって行こうかと地図を見ていたら、安陽県龍泉鎮から近く、そこまで行けば歩いても行けそうだった。バスを調べてみると安陽市内から市バスで行けるようなので、安陽から行くことにした。龍泉鎮に到着後、しばらく歩くと目の前にそれらしい山も見え、階段も整備されていたので楽々と到着。阿斗墓には祠のような建物があったが、劉禅像があるわけではなさそうだった。ただ何枚か石碑が立てられており、阿斗寨の由来などは記されている。劉禅はここで農民たちといっしょに農作業などをして過ごしたらしい。まあ、馬鹿殿として扱われているが、実際はもうちょっとマシな人間だったんだろうな。近くに墓もあったらしいが、すでに消滅しているらしいので探さなかった。
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