三国東呉将軍凌統の墓苑。
この石柱は昔から残っているもの。
凌統墓前面。
凌統墓近景。
文物碑: 1992年9月公布 江陰市文物保護単位「凌統墓」
文物碑の裏面。
2013年3月に訪れたときには修復工事中。清明節に間に合わせるとのこと。
2008年に訪れたときには、華表石柱が残るのみだった。
石柱下部に残っていた抱鼓石。
基本情報
【訪問時期】2008年5月7日 / 2013年3月5日 / 2013年6月29日
【関連人物】凌統
【文物保護】1992年9月公布 江陰市文物保護単位「凌統墓」
ちょこっと解説
 凌統、字は公績。凌操の子。偏将軍、呉右都督丞烈都尉。揚州呉興郡余杭県(現在の浙江省杭州市余杭区)の人。
 凌統墓、墓の封土はすでになくなっている。墓前の石柱二本と抱鼓石一対が残されているのみ。民国九年(西暦1920年)江陰県誌にも同じような記載のみ、それ以前には墓が消滅していたと思われる。1992年9月公布、江陰市文物保護単位「凌統墓」。2013年、凌統末裔たちにより墓が再建された。
探訪後記
 久々の遺址捜索。中国のサイトで調べていると、凌氏の末裔が凌統墓を訪れた記事とともに、写真が載せられていた。こういう情報なら、存在する確率が高い。意気揚々と青陽鎮へ向かう。悟空村は地図を見ると西の方にあるようだ。てくてくと歩いて、村へ到着。村人に「凌統墓はどこ」と聞いてみると、わからないらしい。「ほら二本の石柱が残っているでしょう」と言うと、村人は「ああ、凌統墓か、あっちだ。遠くない」と教えてくれた。その後も何人かに聞きながら進む。ほとんどの人が凌統墓のことを知っている。こんなことも珍しい。さて、悟空寺が見えてきて、悟空橋村に着いた。凌統墓は村の西側、新しく敷設された道路の傍らにあった。確かに石柱二本しか残っていない。でも道路工事で撤去されずに残されているのには一安心。今後は文物碑などを建てて欲しいものだ。
 最近になって中国のネットを検索していると、凌氏宗親網というサイトにたどり着いた。その内容を見ていると、このページの探訪後記が翻訳して載せられていた。そして文物碑も建てられたということが記載されている。さらに凌統墓を再生復活させる計画があることも記載されていた。2013年3月に開封太郎さんと一緒に訪れてみると、すでに再建工事が始まっていた。工事の人民オヤジに聞いてみると清明節前には竣工させるとのこと。清明節にはまた凌氏末裔が集まって墓参りをするのだろう。ちなみに文物碑はしっかりと建てられていた。そして6月にもう一度訪れてみると、立派に再建された凌統墓を目にすることができた。凌氏末裔たちの熱い思いが伝わる場所になったな。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】江蘇省江陰市
【 タグ 】凌統
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年7月10日 02:00
【更新日時】2019年1月12日 19:39
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