諸葛瞻、諸葛尚の親子が戦死した綿竹城のあった場所。
綿竹城遺址の石碑が2つ立てられている。
綿竹城遺址からは煉瓦などが多数出土しているが、城跡は面影も残していない。
土将台古遺址の文物碑も立てられている。
土将台と思われる台地。上部には民家が建ち、こちらも面影はない。
ちょこっと解説
綿竹城遺址、漢晋代の綿竹城が位置した場所である。付近からは「綿竹城」の文字がある磚や石武士俑、石虎などの漢代遺物が出土している。隋大業年間になり、水害の多発するこの場所を離れ、現在の綿竹へ遷っている。そしてこの場所は、諸葛瞻と諸葛尚の親子が魏軍と戦い戦死している。蜀漢末期の戦場であったためか、周辺からは三国時代の墓葬が数多く発見されている。
近くの黄許鎮には以前「諸葛瞻諸葛尚父子戦死処」という石碑があった。また「蜀漢驃騎将軍諸葛尚之墓」という墓碑も出土している。
近くの黄許鎮には以前「諸葛瞻諸葛尚父子戦死処」という石碑があった。また「蜀漢驃騎将軍諸葛尚之墓」という墓碑も出土している。
探訪後記
綿竹の諸葛双忠墓祠は、かなり早い時期に訪れていた。ただ現在の綿竹は、三国時代の綿竹があった場所ではないのだ。それで今回、漢晋代の綿竹城遺址を訪れてみることにした。バスを探すのに手間取り、行きはバイタクで移動することになってしまったが、場所自体はわかりやすい。しかし文物碑はあるものの、残念ながら城壁跡らしきものはほとんど見ることができなかった。この付近からは漢晋代の遺物がかなり多く出土しているのだとか。そして三国時代の戦場であったため、三国時代の墓葬が多いとか。誰か有名な人物の墓でも残っていればなあ。諸葛尚の墓くらい復元しませんかね。
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