「漢昭烈帝劉備故里」の石碑。
畑の中にポツンと石碑だけが立てられている。
石碑のすぐ近くにある大樹楼桑学校。
基本情報
ちょこっと解説
劉備、字は玄徳、蜀漢昭烈帝。三国志蜀伝には「先主舍東南角篱上有桑樹,高五丈余,遥望童童如車蓋」と記されている。このことから大樹楼桑村の名が生まれたとされる。劉備が子供の頃は常々この場所で遊んでおり、「いずれはこの樹のような大きな羽葆蓋車に乗る」と言っていたとされる。清代にはまだ朽ちた株が残っており、その上には十数人の子供が乗られたとのこと。1996年6月に劉備故里の石碑が立てられ、朽ちた株の上に新しい樹を植えた。
探訪後記
畑の中にポツンと立てられている劉備故里の碑。ここが劉備の生まれ育ったとされる場所。蓆を売って生計を立てていた青年が、最後には蜀漢の皇帝にまで上り詰めた。劉邦もチンピラだったそうだし、あの頃は時の流れに乗ることができれば、皇帝にまでなれるような時代だったのだろう。まあ、そう考えてみると劉備にしろ劉邦にしろそれなりの才覚はあったわけで。
涿州火車站前で自転車を借りて向かった。しかし、この自転車はかなりのボロ。それにサドルも低いので、おらの体にはまったく合わない。3kmも乗っているだけでケツが痛くなるし、こぐのも疲れて嫌になってきた。それでも借りた自転車に乗ってきた以上、途中で捨てるわけにもいかず。やっとのことで大樹楼桑村へ到着。人民に聞いてみると、学校のすぐ横あたりに碑が立っているとのこと。行ってみるとすぐに目に入った。碑の周りには植林がされており、ちょっと写真が撮りづらい。ほんと、畑ばかりの田舎の村だ。帰る途中、近くまで来られる市バスを発見。ボロ自転車よりバスに乗ってくればよかったな。
涿州火車站前で自転車を借りて向かった。しかし、この自転車はかなりのボロ。それにサドルも低いので、おらの体にはまったく合わない。3kmも乗っているだけでケツが痛くなるし、こぐのも疲れて嫌になってきた。それでも借りた自転車に乗ってきた以上、途中で捨てるわけにもいかず。やっとのことで大樹楼桑村へ到着。人民に聞いてみると、学校のすぐ横あたりに碑が立っているとのこと。行ってみるとすぐに目に入った。碑の周りには植林がされており、ちょっと写真が撮りづらい。ほんと、畑ばかりの田舎の村だ。帰る途中、近くまで来られる市バスを発見。ボロ自転車よりバスに乗ってくればよかったな。
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