傾斜のきつい崖に残る巨石。孔明が馬に乗るときに使われたとされる。
3つに割れた石の真ん中、見にくいが「上馬台」と刻まれている。
周囲はこのような風景。標高も高いため、雑草くらいしか生えていない。
基本情報
ちょこっと解説
建興三年(西暦225年)、南征を開始した蜀軍は至僰道(現在の宜賓)を過ぎた後、軍を三路に分ける。諸葛亮が率いる主力の西路軍は、馬湖江(現在の金沙江上流)を遡り進軍。このあたりでは孟獲が率いる烏蛮軍の狙撃なども受けている。
諸葛亮上馬台は、当時諸葛亮がこの石場を利用して馬に乗った場所とされる。大きな石の表面には「上馬台」の三文字が刻まれている。
諸葛亮上馬台は、当時諸葛亮がこの石場を利用して馬に乗った場所とされる。大きな石の表面には「上馬台」の三文字が刻まれている。
探訪後記
雷波に到着した日の夜、雪が降り始めた。街中ではそれほどの積雪ではないのだが、標高の高くなる峠ではけっこうな積雪があるとのことだ。それでも馬湖をぐるっと回っても道路にはほとんど積雪もない。運転手は相変わらず行けるかどうかわからないと言い続けているが、とにかく行ってみようと運転手を走らすことにした。馬湖の西側から307省道を進んでいくと、確かに標高が上がってきた。積雪も増えてきたが轍の部分は融けている。さらに進むと轍がなくなった。確かに車で進むには危険な状態だ。それでも中国人は金儲けに抜け目がない。道路脇でチェーンを貸し出しているのだ。私の乗った車もチェーンを装着して進む。そしてなんとか峠を越えた。標高が下がってくるともう積雪はない。目的地まではもうすぐ。運転手が聞き込みをしながら進む。諸葛亮上馬台は、道路脇から少し登ったところにあった。近くに住む人民兄ちゃんが案内してくれた。知らない人が登っていってもなかなか見つけられなかったかもしれない。近くでじっと見ると確かに「上馬台」の三文字が刻まれているのだが、うっかりしていると見過ごしてしまうだろう。そして、今回雷波での遺跡捜索を終えて街へ戻った。雷波での言い伝えでは、まだいろいろと遺跡があるようだが、分かり易い場所はこれくらいなのかもしれないな。また機会があれば行ってみることにしよう。
位置情報
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