刀を携え、一人呉に赴いた関羽。
近年、資江沿いが整備され、遊歩道となっている。
関羽像の近景。
関羽単刀赴会の図。魯粛を引きずる。
関羽単刀赴会の説明。
基本情報
【訪問時期】2015年5月5日
【関連人物】魯粛関羽
【文物保護】
ちょこっと解説
 三国演義、第六十六回「関雲長単刀赴会、伏皇后為国捐生」で描かれている。漢建安二十年(西暦215年)、劉備は益州を得る。すると孫権は諸葛瑾に命じて、劉備に荊州を返すように言う。しかし、劉備はそれに応じなかった。孫権は呂蒙に命じ、軍を率いて長沙、零陽、桂陽の三郡を奪い返す。それを知った劉備は、自ら公安へ赴き、関羽に三郡を取り返すよう命ずる。孫権も陸口に駐屯し、魯粛を益陽に派して、関羽の攻撃を防がせた。しかし魯粛は孫権と劉備の同盟関係を保ち、続けて曹操に対抗するべきだと考え、当面は関羽と和睦を結ぼうとする。そして関羽との会談を求めると、関羽は青龍刀を持ち、一人で魯粛のもとを訪れた。
探訪後記
 益陽へは以前から訪れる人も多く、単刀赴会処の話題も幾度と無く出ていたのだが、いかんせん何もなく、行っても寂しいという状況だった。しかし、近年になって資水沿いが整備され、大きな関羽像が立てられた。それなら行っておいてもいいかなと思い、訪れた。単刀赴会処は諸説があるようだが、ここ大渡口がその場所だと言われている。すぐ近くには益陽城の城壁跡が残されており、そんな感じがする場所だった。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】湖南省益陽市
【 タグ 】魯粛関羽
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年7月25日 19:07
【更新日時】2019年1月12日 22:09
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