谷朗碑は亭子に収められている。
文字は風化が激しく、判読しづらい。
「呉故九真太守谷府君之碑」と刻まれている。落書きなども激しい。
文物碑: 1956年7月24日公布 湖南省重点文物保護単位「谷朗碑」
基本情報
ちょこっと解説
谷朗、字は義先。荆州桂陽郡耒陽県馬水(現在の湖南省耒陽市)の人。呉に出仕、郎中尚書令史、瀏陽県令、都尉尚書部、広州督軍校尉、大中正大夫などを歴任。呉永安六年(西暦263年)交州交趾郡吏の呂興が反乱を起こす。谷朗は呉建衡元年(西暦269年)に軍を率いて交趾郡へ進軍し呂興の討伐に成功、交趾郡は降服、九真郡、日南郡も帰順する。その後、谷朗は九真太守となる。呉鳳凰元年(西暦272年)に病死。耒陽にて葬られている。
谷朗碑「呉九真太守谷朗碑」、呉鳳凰元年(西暦272年)耒陽にて立てられている。元々は谷府君祠に収められていたが、清代に杜甫祠へ移設、その後、文革で破壊され3つに割れて放置されていたものを文物局員が蔡侯祠内で保存。現在は、蔡倫記念園の一角に谷朗碑苑が整備され、碑亭内で保管されている。
谷朗碑「呉九真太守谷朗碑」、呉鳳凰元年(西暦272年)耒陽にて立てられている。元々は谷府君祠に収められていたが、清代に杜甫祠へ移設、その後、文革で破壊され3つに割れて放置されていたものを文物局員が蔡侯祠内で保存。現在は、蔡倫記念園の一角に谷朗碑苑が整備され、碑亭内で保管されている。
探訪後記
谷朗碑、こんなに古い碑を間近で見られる機会は多くない。また書道家の方々からすれば、かなり有名で貴重な石碑なのだ。しかし、壁に囲まれた碑亭に保管されているのだ。外からはなんとかその姿を見ることができるのだが、離れていては文字なんかを全く見ることができないのだ。蔡侯祠の入口で聞いてみるも、誰が鍵を持っているかがわからなかった。さすがに人の多い公園で壁を乗り越えるのも気が引ける。どうしたらいいのだ。せっかくここまで来たのに。諦めきれずに、壁に沿って歩いてみる。どこにも登られそうなところはない。ついに壁の端にまでやってきた。そこにはもう商店が建ち並び、進むことも不可能。断念するしかないか。しかし、ふと見るとその商店の前、壁に人が通られるくらいの穴が開いているではないか。商店のおっさんに「この中に谷朗碑があるでしょう。ちょっと通ってもいいかな」と聞いてみる。おっさんは「そんなものはない」と言い張る。でもどう考えても壁の中へ行けそうなのだ。おっさんにお願いして、なんとか中へ入る許可を得た。中に入ると畑になっている。そして奥へ進むと碑亭へたどり着いた。やっぱり。谷朗碑は古いだけあって、文字はかなり識別しにくい部分が多い。それでも素晴らしいものだ。しかし、落書きすんなよ、人民...。商店のおっさんも渋々だったので、やはり中へ入れたくはなかったんだろうな。そら、これだけ文物を大事にしない人民が多いんじゃ、そうしたくなるのもうなずけるよ。
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