近年、造り直された「堕泪碑」である。
石碑には「羊祜」や「堕涙碑」と刻まれている。
基本情報
ちょこっと解説
堕泪碑、本来の名称は晋征南大将軍羊公祜之碑であり、羊公碑とも称される。当地の民衆が羊祜を偲ぶために、羊祜が生前休息の場所としていた峴山に廟を建て、碑を立てたものとされる。羊祜死後、当地の民衆は毎年時節を迎えるごとに碑の場所へ集まり、羊祜の死を惜しんで祭事を行う。民衆で涙を流さぬ者はいなかったと言われる。羊祜の後継者である杜預が、その碑を堕泪碑と名付けたとされる。その後、兵乱の中消失した。
現在の堕泪碑は、1982年に襄樊市(現襄陽市)文物管理処が元碑があった場所に立てたもの。碑に刻まれた「堕涙碑」の三文字は現代の書家が書したものである。
現在の堕泪碑は、1982年に襄樊市(現襄陽市)文物管理処が元碑があった場所に立てたもの。碑に刻まれた「堕涙碑」の三文字は現代の書家が書したものである。
探訪後記
ネットで調べていると引っ掛かった。まあ、羊祜あたりになるとそれほど興味が湧くわけでもないのだが、とにかく行っておこう。場所は、207国道と焦柳鉄路が交わるところと書かれている。かなりピンポイントなのだが、中国サイト情報ってあてにならないからなあ。何枚か画像もあったのでGoogle Earthと睨めっこしてみたが、さすがに石碑一枚を鮮明に捉えるのは無理だよな。市バスを降りて、歩いて向かっていく。目の前には鉄道橋が見えた。あの辺りだろう。鉄道橋の手前側には何もないな。くぐって越えてみるか。右見て、左見て、あ、あった。ネット上の画像と同じだ。本当に下の部分が埋もれているし、碑が傾いている。さらに碑の表面には何やら塗料の跡が。まったく何てことするんだよ。まあ、この碑は近年新しく立て直されたものだし、いかにもコンクリートですという感じでいただけないのだが、せっかく立てたのだから大事にしろよ。言うだけ無駄なのかもしれないがな。
位置情報
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