以前の黒光りする趙雲像。
現在の新しい趙雲像。
「長阪雄風」と刻まれた碑。
文物碑: 1991年11月30日公布 当陽市重点文物保護単位「長坂雄風碑」
橋の下に身を隠す麋夫人の像。今はもうない。
麋夫人は阿斗を趙雲に託して井戸に身を投げる。
懸命に救けた阿斗だが、劉備は投げ捨てる。
公園の入口にある子龍閣。
ちょこっと解説
漢建安十三年(西暦208年)北方を平定した曹操は南の荆州へ侵攻を開始する。このとき荆州の劉表は病没、後を継いだ劉琮は曹操に降伏する。劉備は民とともに江陵へ落ち延びようとするが、民たちの足取りが重いため、孔明と関羽が一部を舟に乗せて行くことになった。劉備が江陵の地を手にすることを恐れた曹操は強行軍を緩めず、襄陽を落とす。そして曹操は曹純、文聘などを率い、当陽で劉備に追いくと、劉備は家族を捨てて逃走するが、趙雲は甘夫人と阿斗を守りながら劉備を追うことになる。
三国演義では、劉備が逃走すると麋甘二夫人や阿斗、麋竺などは曹軍に囚われてしまう。これをみた趙雲は単騎曹軍に駆け込み、麋竺や甘夫人を救い出して張飛に託す。そして再度曹軍に突入し、麋夫人と阿斗を探す。阿斗を抱いた麋夫人を発見するが、麋夫人は怪我をおっており、阿斗を趙雲に託すと、足手まといにならないようにと自ら井戸に身を投げてしまう。
三国演義では、劉備が逃走すると麋甘二夫人や阿斗、麋竺などは曹軍に囚われてしまう。これをみた趙雲は単騎曹軍に駆け込み、麋竺や甘夫人を救い出して張飛に託す。そして再度曹軍に突入し、麋夫人と阿斗を探す。阿斗を抱いた麋夫人を発見するが、麋夫人は怪我をおっており、阿斗を趙雲に託すと、足手まといにならないようにと自ら井戸に身を投げてしまう。
探訪後記
長坂坡古戦場、ここは早くから趙雲像などが立てられるなどしている場所だ。長板路に立つ真っ黒の趙雲像が格好良い。しかし公園内に入ってみると名場面を再現した像が立ち並ぶのだが、出来はいまいち。まあ、趙雲などはそれなりによいのだが、草むらに捨てられた阿斗の像はなんとも無残。お笑いネタになってしまうレベルだった。
そして近年、真っ黒の趙雲像は安全上の理由で取り壊され、新しい趙雲像に変わった。まあ、こちらも格好良いからいい。公園内はだいぶん綺麗になってしまい、あのシュールな像たちはほとんどが撤去されてしまっている。もったいないような気もするが、阿斗の無様な姿は残しておくのもあれかなと思う。
そして近年、真っ黒の趙雲像は安全上の理由で取り壊され、新しい趙雲像に変わった。まあ、こちらも格好良いからいい。公園内はだいぶん綺麗になってしまい、あのシュールな像たちはほとんどが撤去されてしまっている。もったいないような気もするが、阿斗の無様な姿は残しておくのもあれかなと思う。
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