麋城遺址は円形に近い形が残る。
文物碑: 1991年11月30日公布 当陽市重点文物保護単位「糜城遺址」
両河鎮にある麋夫人の像。
麋夫人の手には蓮の花が。麋城は蓮の産地。
基本情報
【訪問時期】2013年3月19日
【関連人物】麋芳麋夫人
【文物保護】1991年11月30日公布 当陽市重点文物保護単位「糜城遺址」
ちょこっと解説
 麋城遺址、蜀将麋芳が江陵の守備のために築いた城とされる。城の周囲は約1670m、城壁の高さは6m、底の部分の厚さは18m、上部は5~10m。考古学調査で商代の遺跡と分かっているが、漢代にも利用された。地表下層が商代、中層が周代、上層が漢代の文化層となっている。言い伝えでは、長坂坡の戦いで曹軍に囲まれた劉備の妻麋が井戸に投身自殺したが、その魂魄は兄である麋芳の守る麋城へ戻ったとされる。
探訪後記
 両河鎮にある麋夫人像、もう何度も訪れていたのだが、なぜあそこに立っているのかを分かっていなかった。しばらくして麋夫人像から南へ行くと麋城遺址があるということが分かった。それでもどんな場所かも分からないし、せめてもの文物碑があるのかどうかも分からなかった。その後、最近になってちゃんと文物碑もあるということがわかる。Google Earthで見ると、城の跡のような地形がちゃんと確認できた。これはもう行くしかない。そしてやっと再び当陽を訪れる機会ができたので、さっそく行ってみることにする。しかし、どのバスに乗れば近くまで行けるのだろう。よくわからないので、まずは両河へ行き、麦城遺址などを再訪してから、麋夫人像の前でバスを待つことにした。しばらく待っていると南へ向かうバスが来た。これだ、草埠湖へ向かうバスだった。まあ、麋夫人像からは5~6kmくらいなのだから、最悪徒歩も考えていたのだが。やっぱりバスがあるなら乗って移動したい。もうそんなに若くなくなってきたからさ。そして、蓮の花を手に持った麋夫人像の謎も解けましたとさ。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】湖北省当陽市
【 タグ 】麋芳麋夫人
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年8月28日 07:41
【更新日時】2019年1月13日 09:05
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