再建された陸遜点将台。
点将台前に並ぶ旗杆。
陸遜点将台の案内板。
基本情報
ちょこっと解説
漢建安八年(西暦203年)、21歳の陸遜は孫権の元へ出仕する。同年、海昌(現在の浙江省海寧市)屯田都尉兼領県事となり、ここへ着任している。陸遜は塩官一帯を屯田開墾し、農業の発達を促す。この時期の点将台と練兵場跡が、以来功績を記念するために残されてきたとされる。ただし、現在残っている規模はかなり小さくなっている。近年、観光開発時に再び整備された。
探訪後記
海寧へ古三女堆を見に来た。せっかく来たので、古い街並みが残っているらしい塩官へも行ってみようと思った。長安から塩官までは市バスT309に乗って移動。塩官は銭塘江の逆流を見られることで有名な場所だが、あまり興味はない。バスターミナルの前に観光地図があったので、それを参考にフラフラと回ってみる。門票もあるし、これと言って興味が湧くものもなかったが、古い街並みの残る古邑路へ。ここも観光開発され、いわゆる整備された古鎮なのだが。ほとんど一本道なので、行けるところまで行ってみる。東端は宣徳門。その手前にあった看板に目が止まった。「点将台」と書かれており、説明文には陸遜の名前が。「へぇ、こんなところに陸遜点将台があったんだ」と思ってしまった。しかし、見てみるとただ観光用に開発された台座が。台座には扁額があり「点将台」と刻まれている。落款はなぜか「陸遜」となっている。なぜなんだろうか。まぁ、歴史的にも陸遜が着任した場所であるようだし、点将台があったとしてもおかしくはない。でも観光用に再開発されて、結婚記念撮影場のようになっていたのはいただけないぞと。
関連遺址
陸遜営里
[ 海寧 ]
位置情報
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