孫魯育の墓道の上に建てられた建物。
建物の裏側から墓道が延びている。
墓に使われているレンガにはいろいろな模様がある。
基本情報
【訪問時期】2009年3月30日
【関連人物】孫魯育
【文物保護】1989年12月12日公布 浙江省文物保護単位「長安鎮画像石墓」
ちょこっと解説
 孫権の三女、孫魯育の墓と言われている。歩夫人のもと、姉の孫魯班(大虎)と孫魯育(小虎)の二人が生まれている。大虎は周瑜の子、周循に嫁ぎ、後に全琮に嫁ぐ。小虎は朱据に嫁ぎ、後に劉纂に嫁いでいる。大虎は潘夫人と折り合いが悪く、潘夫人を殺害することを小虎に相談するが、小虎は断る。計画が漏れることを恐れた大虎は、孫峻を使い小虎を殺害、小虎の遺体は南京城外の石子岡に捨てられたが、後の皇帝孫皓がこれを知り、孫権の愛妃であった翟氏が埋葬されたと同じ長安鎮に小虎を埋葬したとされる。
 「海寧州志稿」には「明万暦十七年(西暦1589年)、墓室はすでに盗掘されたが、封土は残っている。清嘉慶七年(西暦1802年)、海寧知州黄秉哲が古三女堆の石碑を立て、墓を保護した」と記載されている。
 古三女堆、1973年に発掘調査。レンガと石の混合結合で、前後二室と甬道からなり、前室左右には耳室が各一室ずつが有る。その出土したレンガから考察し、東呉五鳳年間の墓と思われる。前室および甬道、耳室の石砌部分に漢画が描かれている。漢画の内容は車馬出行、庖厨、宴飲、楽舞百戯、歴史故事など。陶俑、瓷器、銭幣なども出土している。浙江省では数少ない画像石墓。
探訪後記
 もうこのあたりの人物になると、あまり知っている人はいないのだろうな。中国のネットで小虎の墓が残っていることを見つけて、いつか訪れようと思っていた。しかし、遺跡巡りで最大の難関である「学校内」に位置しているのである。古三女堆は浙江省海寧中学内。この中学はちょっといい学校のようだし、と言うことは必ず門衛がいる。いかに門衛に頼み込んで入れて貰うことができるかが到達の鍵になるのだ。
 学校内にあるので、人が必ずいるであろう平日を選ぶ。上海から海寧まで列車で移動し、そこからバスで約1時間、長安鎮に到着。学校の場所はネットで調べてあったので、すぐに見つかった。さて、やっぱり門衛がいる。ここで怯んではいけない。門衛のおっちゃんに「ここに古い墳墓がありますよね。見たいんですけど」と言うと、取り付く暇もなく「ダメ」と言われる。しかし、これは想定内だ。ここでゴネないとどこでゴネる。「私は日本から来たんです。なかなか来られないので見せてください」と頼み込む。門衛のおっちゃん、意外と簡単に陥落。「まったく。連れて行ってやるよ。本当は校長の許可がないとダメなんだぞ」と案内してくれることに。この墓、保護のために上に建物が建てられており、施錠されているので中には入られないので、外から見学する。門衛のおっちゃんは入ったことがあるらしく、中の構造を説明してくれた。そして「鍵は校長が持っているから、後で聞いてみてやるよ」と言ってくれた。このおっちゃん、いい人だ。まぁ、外からでも満足なのだが、中にはいることができれば大満足である。しかし、電話をして貰ったら誰も出なかった。校長は外出中だったようだ。残念。いや、門衛のおっちゃんもここまでしてくれたのだから、本当に感謝である。
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】浙江省海寧市
【 タグ 】孫魯育
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年10月24日 19:21
【更新日時】2019年1月12日 20:02
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