建徳侯孫韶は故郷一体を封地とする。
建呉黄武四年(西暦225年)に孫韶が建徳県を置き、開祖となった。
街の入口には、孫韶の像も立てられている。
孫権の母である呉国太が、当時ここで居住していたときに使われたという井戸も残る。
基本情報
【訪問時期】2009年5月7日 / 2018年1月1日
【関連人物】孫韶
【文物保護】
ちょこっと解説
 孫韶、字は公礼。呉揚威将軍、建徳侯。元の姓は俞、伯父の俞河が孫堅のいとこで、孫堅と共に戦い戦功をあげる。俞河は重用され、孫姓を賜った。俞韶も共に孫姓に改める。その後、孫韶は孫策のもとで重用されることとなる。孫権は漢建安二十六年(西暦221年)に孫韶を建徳侯に封じ、故郷である建徳一帯を封地とする。建徳は呉黄武四年(西暦225年)に県が置かれ、孫韶は建徳県を開いた祖となる。県城は現在の梅城鎮に置かれた。建徳の名は建徳侯に由来し「建功立徳」の意味。建徳侯坊は、孫韶を記念して1993年に正大街の南端に建てられた。
探訪後記
 建徳も通り道なので寄ってみたのだが、地図を見てもそれほど気になる場所がない。それでもせっかく来たのだから、どこかへ行ってみようと考える。地図に塔が二つ印されている街があった。梅城だ。そう言えば富陽からもバスがあったな、どんな街なんだろう。ちょっと調べてみると歴史がある街らしいでの、行ってみることにした。到着して、新安江の畔にある塔を見に行く。しかし、暑いな。街中を歩いていると古い建物がところどころに残っているが、観光地になるような古鎮ではないな。それほど見所もないし、諸葛鎮へ行くバスの時間もあるので、早めに戻ろう。バスターミナルまで違う道を歩いて戻ることにする。すると牌坊が目に入った。比較的新しいものなのだが、見てみると建徳侯の文字が。さらに孫韶のことも書かれているではないか。なるほど、ここは孫韶故里だったわけね。偶然の発見だったな。ちなみに呉国太に関係のある井戸もあるとか。でもこの辺りの人物の遺跡は、なかなか調べることもないんだよな。
位置情報
在野の士であるあなたはこの位置情報を閲覧できません。仕官申請しますか。
投稿情報
【カテゴリ】浙江省建徳市
【 タグ 】孫韶
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年11月2日 19:39
【更新日時】2019年1月12日 20:00
Loadingいいね!314