廟内に並ぶ、劉関張の像。出来はいい。
劉備廟の前面。それほど大きくはない。
文物碑: 2003年10月20日公布 陽泉市郊区区級文物保護単位「劉備廟」
劉備山の山頂に建てられた劉備廟。
劉備山を登っていく途中、玄徳泉もあった。
基本情報
【訪問時期】2008年8月28日
【関連人物】劉備
【文物保護】2003年10月20日公布 陽泉市郊区区級文物保護単位「劉備廟」
ちょこっと解説
 言伝えでは、劉備と関羽、張飛が兵を率いてこの場所を訪れた際、山頂から遠望できるということで屯兵することにした。三人はそれぞれ箭を放ち、各々の駐屯する場所を選んだとされる。劉備の放った箭はこの場所に落ち、ここで屯兵することとなる。後に劉備廟が創建され、破壊と再建が繰り返された。現在の廟は2003年に再建されたものである。中には劉関張の像が祭られている。また関羽の放った箭は現在の林里に落ち、関王廟が建てられている。張飛の箭は現在の千畝坪に落ち、張飛廟が建てられていたが消滅している。
探訪後記
  「劉備山に登るには」ネットでいろいろ調べた結果、関家峪村から頂上まで道が整備されていることがわかった。でも関家峪へはどうやって行けばいいのだろう。地図を見てだいたいの場所がわかったのだが、近くを通るバスでもないだろうかと探す。ウォルマートの前にバスが溜まっていたので、行き先と地図を見比べながら探してみる。「お、このバスが通るんじゃないか。」と一台のバスを見つけた。乗り込んで車掌のねえちゃんに「劉備山に登りたいんだけど、関家峪まで行ける」と聞いてみた。「劉備山、なんでそんな山を知ってるの」と不思議がられたが、関家峪も通るそうなので、そのバスで行くことにした。出発までしばらく待っていると、運転手のにいちゃんやらに、いろいろと聞かれる。「いや、三国遺址が好きだからさ」と言うと、「そう言えば張飛廟も再建されたぞ」と言う。ネットで調べた限りでは、まだそんな情報はなかったので「本当かな」とは思ったのだが。それはともかく、関家峪へ到着。「ここで降りて、ずっとまっすぐ行けば山頂まで行けるわよ」と車掌ねえちゃんに教えてもらって、バスを降りる。そこからはひたすら登っていく。コンクリートの道路なのでタクでも行けるのだが、ふっかけられるのも嫌なので歩く。途中勾配がきついところもあり、なかなか大変だ。観光整備工事をしているおっちゃん達に呼び止められて、休憩しながら話をしたり。やっとのことで山頂へ到着。劉備廟の扉も開いており、中を見ていると管理しているおばちゃんが入ってきた。親切に「お湯でも飲むかい。ご飯もあるよ」と言ってくれる。お湯をちょっと貰う。こんな人に出会えると嬉しいよな。さて、また歩いて下山。実は下山する方がきつかったりする。途中、玄徳泉なんてのもあった。なんとか山を下りて、街へ戻るバスを探す。「なんだ8路バスが近くを通ってるんだ」と気づく。これに乗って蔭営まで戻り、ついでに張飛廟を探してみるが、やっぱりガセだった。関王廟でたまたま出会った文物局の人に聞いてみたら「張飛廟にはまだ何にもないよ」と言われてしまった。
関連遺址
劉備廟
劉備廟

[ 岳阳 ]
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】山西省陽泉市
【 タグ 】劉備
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年11月6日 22:10
【更新日時】2019年5月19日 20:58
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