本来の墓は川底に沈んだらしいが、近年、墓碑が立て直された。
周りには人民の墓もあり、植林もされていて場所がわかりづらい。
呂岱墓巷という地名が残されている。墓はこのすぐ側。
基本情報
ちょこっと解説
呂岱、字は。徐州広陵郡(現在の江蘇省如皋市林梓鎮)の人。もとは県吏だったが、孫権に見出されて出仕する。廃帝孫亮の代になると大司馬にまで登りつめている。また、長寿としても知られ数え96歳まで生きたとされる。
呂岱は96歳で病死、亡骸は故郷である高陽蕩にて葬られたとされる。それが現在の林梓鎮にある呂岱墓である。しかし1979年文革時、川を開削するするために墓は破壊され消失してしまう。近年、ようやく墓碑が立て直された。
呂岱は96歳で病死、亡骸は故郷である高陽蕩にて葬られたとされる。それが現在の林梓鎮にある呂岱墓である。しかし1979年文革時、川を開削するするために墓は破壊され消失してしまう。近年、ようやく墓碑が立て直された。
探訪後記
2017年元旦、今年一発目の遺跡はここ呂岱墓であった。南通からバスに乗って林梓まで。街の仲間ではバスが入っていかないので、2kmほど歩く。朝方はまだちょっと寒かった。林梓に到着したものの、場所がいまいちよくわからない。中国ネットでは北街とか呂岱墓巷という地名が出ているのだが、百度地図で検索しても出てこない。困ったな。しばらく歩いて、聞き込みをする。するとやっと知っている人民に出会った。そこから近づくにつれて、知っている人民も多くなり、やっとのことで到達。確かに北街や呂岱墓巷の地名がある。呂岱墓の写真を撮っていると、近くの人民が「あゝ、また写真を撮っているよ」と言っている。やはりそれなりに訪れる人は多いようだ。
位置情報
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