「収姜維」の舞台となった天水関があった場所とされる。
三国古戦場遺址「天水関」の石碑が置かれているのみ。
ちょこっと解説
三国演義、第九十三回「姜伯約帰降孔明、武郷侯罵死王朗」の中でも記載されている。「天水関」と言えば「収姜維」とも称される。もとは魏の天水郡中朗将として天水太守馬遵の元で仕えていた。建興六年(西暦228年)に諸葛亮が北伐を開始、安定、安南の2郡を落とし、魏駙馬夏侯楙を捕虜とする。そして夏侯楙の名をかたって天水郡に救援を頼み、虚を突いて趙雲に天水郡を落とさせようとする。しかし、天水郡の守将馬遵は信じるが、姜維はこれを見破り、諸葛亮の計は失敗に終わる。諸葛亮は姜維の才能を高く評価、姜維が母思いなことを利用し、母が居る冀県を攻め、姜維が天水郡を離れた隙に、魏延を姜維に扮させて天水郡を攻める。馬遵は計にかかり、姜維に内通の疑いを持つようになる。馬遵は上邽に逃亡するが、後を追ってきた姜維を城内へ入れなかった。姜維は仕方なく冀県へ戻るが、そこでも城内へ入ることができず、蜀軍へ投降することとなる。諸葛亮は姜維を喜んで迎え入れる。
現在は1996年6月に天水市秦城区(現在の天水市秦州区)の立てた「三国古戦場遺址、天水関」の石碑が天水鎮の入口にあるのみ。
現在は1996年6月に天水市秦城区(現在の天水市秦州区)の立てた「三国古戦場遺址、天水関」の石碑が天水鎮の入口にあるのみ。
探訪後記
武都から礼県へ。そして祁山で武侯祠を見てから天水鎮へ。到着したのはもう日暮れ近くだったので、宿を探して休むつもりだった。街の中へ向かってちょっと歩くと、なにやら石碑らしきものが見える。天水関の石碑だった。明日探すつもりだったのに、難なく見つかってしまった。せっかくなので写真を撮る。さて、宿探しだ。街の中へ入っていくが、まったく宿がない。普通なら旅館や招待所くらいはあるはずなのだが。人民に聞いてみると一ヶ所だけあるらしく、そこへ行ってみるがもう宿はやっていないとのこと。困った。そう言えば、バスを降りたところに賓館の案内標識はあったな。でも賓館だと値段が。まだバスはあるので天水市内まで行くことはできるけれど。とにかくその賓館へ行ってみる。幸い安く泊まれるところだったので、そこで宿泊。宿がなくて宿探しに苦労するのは初めてだ。遺跡は簡単に見つかったが、宿探しに苦労するとは。
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