麦城から逃走した関羽が、呉の潘璋らに捕らえられた場所。
関羽を記念する碑亭は1983年に竣工している。
関羽の像が刻まれた石碑。
文物碑: 1991年公布 遠安県重点文物保護単位「三国古戦場蜀国大将関羽廻馬処」
ちょこっと解説
漢建安二十四年十二月(西暦220年)、当陽の麦城から敗走した関羽は、関平とともに蜀へ戻ることを試みる。しかし臨沮にて呉の潘璋と馬忠に捕らえられてしまう。そして孫権は関羽と関平を斬首とした。
清同治七年(西暦1868年)、この場所に亭子が建てられ、中には「嗚呼此乃 關聖帝君由臨沮入蜀遇呉廻馬之處也」と刻まれた石碑が置かれた。1960年に公路建設のために亭子は撤去されてしまうが、1982年になって再建された。
清同治七年(西暦1868年)、この場所に亭子が建てられ、中には「嗚呼此乃 關聖帝君由臨沮入蜀遇呉廻馬之處也」と刻まれた石碑が置かれた。1960年に公路建設のために亭子は撤去されてしまうが、1982年になって再建された。
探訪後記
いろいろと調べていると地名はわかったのだが、地図で探してみても見つからない。なかなか詳しい地図もないし、どうしたものだろう。とりあえず遠安にたどり着いたので、バスを乗り換えて進んで見ることにする。バスは進んでいき、目星をつけていた場所あたりに来た。すると「廻馬」という標識が目に入った。ここだ間違いないだろう。バスを降りて標識のところまで戻ってみると、川の向こうに亭子があった。あれに違いない。そうしてなんとか目的地に到達することができたのであった。もう少しいい地図がないものだろうか。
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