三国遺址探訪:三国志遺跡をおもいっきり巡る旅にでよう!
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更新:2009年12月27日
遺址名
【所在地】
 臨漳県香菜営郷三台村
【行き方】
 臨漳から3路バスに乗って、三台で下車すぐ。邯鄲磁県から三台行きのバスもあるが本数は少ない。磁県安陽の境、漳河橋から習文までは西へ約5.2km。そこから北へ約3.5kmで三台村に到着。

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【訪問時期】
 2006年9月19日

【ピンイン】
 yè chéng sān tái yí zhǐ

【関連人物】
 曹操

【ちょこっと解説】
  鄴城三台とは金鳳台、銅雀台、冰井台を指し、建安文学の発祥地とされる。金鳳台は建安十八年(西暦213年)、曹操によって建設される。史書の記載によれば台の高さは8丈、部屋の数は135を数えた。金鳳台は現存している台基の中で比較的保存状態がよく、東西70m、南北122m、高さは70m。台上には清順治八年(西暦1651年)に建てられた文昌閣が残されている。また台下部には蔵兵洞があり、磁県講武城まで続くトンネルだったとされる。
  銅雀台は建安十五年(西暦210年)、曹操によって建設される。金鳳台の北側に位置し、三台の主台である。曹操が文人たちと詩を賦し、宴を催した場所でもある。台基の保存状態はあまりよくないが、金鳳台の北側に残る。
  冰井台は建安十九年(西暦214年)、曹操によって建設される。深さ15丈の井戸に大量の氷を貯めたことからこの名がついた。主に炭や食料、食塩などを貯蔵するために用いられたとされる。北周代に失火によって建物は消滅、明代末には漳河の洪水によって台基も流されている。1988年1月13日公布、全国重要文物保護単位。

【探訪後記】
  曹奐墓などを見た後、習文から徒歩で三台村まで向かった。この日はすでに10km以上歩いている。9月といってもまだ昼間は太陽が照りつけて暑い。三台村までの道のりがかなり長く感じる。バスもあるにはあるのだが、本数が少なくあまり利用できない。もちろんバイタクなどを利用すれば楽なのだが、基本はバスか徒歩と決めているので乗らない。三台村に着く頃にはもうヘロヘロになっていた。大きな曹操像が見えて、やっと鄴城三台遺址に到着。金鳳台跡の上に登って一休み。ちょっとしょぼいが廟の中には曹操や魏の文官武将の像が並んでいる。そこから北を眺めると銅雀台跡が見える。冰井台はすでにない。さて、宿は磁県にとっている。今日もそこまで戻らないといけない。でもまたバスの通っている国道まで歩いていかないとダメだ。およそ6km。本当はもう一カ所講武城遺址へも行きたかったのだが、体力の限界。国道まで歩くだけで死にそうになった。しかし、また訪れたら歩くんだろうな。

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