三国遺址探訪:三国志遺跡をおもいっきり巡る旅にでよう!
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更新:2009年3月26日
遺址名
【所在地】
 蘇州市呉中区木瀆鎮闕塋村
【行き方】
 蘇州汽車北站前、西匯路を東へ約380mの「汽車北站」からか、蘇州火車站から南へ約220mの「平四路」から市バス64路に乗り、上涇村で下車。来た方向へ約350m戻り、「月種雲耕」と書かれた門をくぐって南へ約1.4km進み、村を抜けたところで西南へ約460m行くと李根源墓に着く。そこからぐるっと南側へ行き、道路から北へ約70m入って到着。

写真
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魏
呉
蜀
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【訪問時期】
 2009年2月11日

【ピンイン】
 gù yōng mù

【関連人物】
 顧雍

【ちょこっと解説】
  顧雍、字は元歎。揚州呉郡呉県(現在の江蘇省蘇州市呉中区)の人。顧氏は江南の名家。少年の頃には、へ来て隠居していた東漢文学家の蔡邕(元の名は蔡雍)の元で琴や書法を学んでいる。蔡邕は、顧雍の才能を高く評価し、自分の名「雍」を与えている。若年から官吏への推挙を受け、各地で官職を歴任し功績をあげる。建安五年(西暦200年)に孫権が会稽太守を兼任すると、顧雍は郡丞として孫権の代理で太守の職を遂行している。黄武四年(西暦225年)には、太常となり醴陵侯に封ぜられ、死去した孫邵に替わって丞相となる。後、丞相在任のまま死去。謚は粛侯。
  顧雍墓呉県志には、「顧氏宗譜に小王山南麓には三祖墓があり、清嘉慶二十一年(西暦1816年)に裔孫の顧錫周らが碑を立てた」と記載されている。三祖とは漢代の顧雍、梁代の顧烜、宋代の顧禧のこと。20世紀に入り、李根源という人物が県志の記載を元に顧雍墓を捜索し、墓の具体的な位置を特定、墓碑を発見している。その後、墓を修復し、碑を立て直し、植林などをして保護した。

【探訪後記】
  2月から上海へ来ている。たまにはどっかへ行かないと、体が鈍ってしまうので性懲りもなく三国遺跡を探しに。上海から近い蘇州へ行くことにした。蘇州は、以前留学していた場所。まぁ、あの頃とは街もだいぶん変わってきているのだが。こっちへ来てから、日中は小春日和が続いている。さてと、市バスに乗り込み小王山へ向かう。近くからは徒歩。途中から暑くなってきて、ウインドブレーカーを脱いだ。上は半袖Tシャツだけ、厚着をしている人民から視線が集まるのだが。さて、近くまで着いただろう。人民に聞き込みを開始する。「顧雍墓ってどこ」と聞くと、「あっちだ王山の側面にある」とか「おぉ、顧雍墓か。あっちじゃ、村の者は知っとるぞ」との答えが返ってくる。けっこう有名らしいな。言われた方向へ進んでいくと、闕塋村に出た。すぐ近くに李根源という人物の墓がある。この李根源が顧雍墓を発見したそうだ。小王山と言っても、小高い丘のようなものか。墓地になっていて人民の墓がたくさん並んでいる。墓地に入って、ぐるっと回ってみたが見つからないな。墓ばっかりだから、どれがどれだかわかんないよ。とは言うものの、狭い場所なので見つかった。碑に文字がたくさん書かれているから、わかりにくい。まぁ、見つかったからよしとしよう。

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