【ちょこっと解説】 孫韶、字は公礼。呉揚威将軍、建徳侯。元の姓は俞、伯父の俞河が孫堅のいとこで、孫堅と共に戦い戦功をあげる。俞河は重用され、孫姓を賜った。俞韶も共に孫姓に改める。その後、孫韶は孫策のもとで重用されることとなる。孫権は建安二十六年(西暦221年)に孫韶を建徳侯に封じ、故郷である建徳一帯を封地とする。建徳は東呉黄武四年(西暦225年)に県が置かれ、孫韶は建徳県を開いた祖となる。県城は現在の梅城鎮に置かれた。建徳の名は建徳侯に由来し「建功立徳」の意味。建徳侯坊は、孫韶を記念して1993年に正大街の南端に建てられた。【探訪後記】 建徳も通り道なので寄ってみたのだが、地図を見てもそれほど気になる場所がない。それでもせっかく来たのだから、どこかへ行ってみようと考える。地図に塔が二つ印されている街があった。梅城だ。そう言えば富陽からもバスがあったな、どんな街なんだろう。ちょっと調べてみると歴史がある街らしいでの、行ってみることにした。到着して、新安江の畔にある塔を見に行く。しかし、暑いな。街中を歩いていると古い建物がところどころに残っているが、観光地になるような古鎮ではないな。それほど見所もないし、諸葛鎮へ行くバスの時間もあるので、早めに戻ろう。バスターミナルまで違う道を歩いて戻ることにする。すると牌坊が目に入った。比較的新しいものなのだが、見てみると建徳侯の文字が。さらに孫韶のことも書かれているではないか。なるほど、ここは孫韶故里だったわけね。偶然の発見だったな。ちなみに呉国太に関係のある井戸もあるとか。でもこの辺りの人物の遺跡は、なかなか調べることもないんだよな。
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