三国遺址探訪:三国志遺跡をおもいっきり巡る旅にでよう!
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更新:2009年1月18日
遺址名
【所在地】
 淮南市謝家集区孤堆回族郷蔡圩村
【行き方】
 まず楊公鎮を目指すことになる。淮南汽車站前の「国慶路」バス停から市バス24路に乗り「孤堆」で下車。この孤堆は大孤堆村。ここから西へ約3.8km行くと楊公鎮楊公からそのまま来た道をさらに西北に約3.5km行き、細い道へ入り南へ約3.2kmで到着。淮南の泉山社会客運站近くから出ている孫廟行きのバスで楊公まで行けるが、本数は少ない。合肥阜陽利辛を結ぶバスが楊公を通過する。本数はかなり多い。

写真
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魏
呉
蜀
【周辺地図】
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【訪問時期】
 2008年5月24日

【ピンイン】
 yuán shù mù

【関連人物】
 袁術

【ちょこっと解説】
  袁術、字は公路。豫州汝南郡汝陽県(現在の河南省商水県)の人。河南尹、虎賁中朗将、南陽太守などを歴任した。袁紹の異母弟。祖父袁安は東漢司徒、四世三公の家柄。劉表との戦いに敗れ戦死した孫堅の嫡男である孫策から玉璽を手に入れ、建安二年(西暦197年)に寿春にて皇帝を僭称、曹操などの攻撃を受け大敗、汝南へ逃亡。後に袁紹を頼り北上する途中、劉備に遮られ、寿春まで落ち延びたが、病死。
  袁術衣冠塚とされる「厳氏孤堆」。南北52m、東西53m、高さ7.5m。1981年9月8日公布、省級重点文物保護単位。元々は「袁氏孤堆」だったが、口述変化で「厳氏孤堆」になったとされる。以前、この楊公鎮、孤堆回族郷などは長豊県の管轄だったが、2004年5月に淮南市謝家集区の管轄に変更された。

【探訪後記】
  近くまでは淮南市内から簡単に行けるのだが、そこからがけっこう大変だ。楊公までたどり着けば、後は徒歩でも行けるくらいの距離だが、なかなか大変だ。もちろんバイタクを利用できるが、この辺りのバイタクは平気でぼったくり価格を提示してくるので、安易に乗らない方がいい。私も最初は歩いていくつもりだったが、距離がかなりあるので、バイタクに乗ることにした。大孤堆村で降りたときに、ちょうど孫廟行きのバスが来たので、それで楊公までは順調に進んだが、何人かの人民に聞き込みすると、やはり6kmほど行かないとダメと口を揃えて言う。バイタクのおっちゃんが手招きをするので、行って話をしてみるが「直線距離なら3kmくらいだけど、まっすぐ行けないから」と言う。もう面倒くさくなったので、交渉をして連れて行って貰うことにした。
  「厳氏孤堆」は袁術衣冠塚とされる塚だ。けっこう大きく立派。文物碑も2つある。以前、管轄していた長豊県のときに立てられたものだ。ここからバイタクのおっちゃんが暴れ出す。「おまえ、どこから来たんだ。こんなものを見に来るやつなんて珍しいぞ」と。「日本から来たんだよ。これは伝説の袁術墓だから見に来たんだ」と答える。「おぉ、日本人か。外国人は初めて見た」とはしゃぎ出す。面白いおっちゃんだが、延々と質問が続き大変だった。GPSで計測すると、楊公から直線距離で約4km、道なりで約7kmある。

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