三国遺址探訪:三国志遺跡をおもいっきり巡る旅にでよう!
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更新:2009年11月9日
遺址名
【所在地】
 当涂県姑孰鎮洞陽村
【行き方】
 馬鞍山火車站前の紅旗路を北へ約160mのところ、新亜客運站から当涂行きバスがでている。馬鞍山火車站、馬鞍山汽車站の前を通過するので、途中乗車もできる。終点の当涂東門汽車站で下車、博望行きに乗り換え、圍屏東端の姑孰工業園で下車、314省道を東へ約250m、北へ約140mで到着。安徽徽鋁鋁業敷地内。

写真
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魏
呉
蜀
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【訪問時期】
 2009年10月27日

【ピンイン】
 tiān zǐ mù

【関連人物】
 孫休

【ちょこっと解説】
  呉景帝、孫休、字は子烈。孫権の第六子。18歳の時に琅琊王に封ぜられる。太平三年(西暦258年)に孫綝が政変を起こし、第二代皇帝である孫亮(孫権の第七子)を廃して会稽王とし、孫休を第三代皇帝として迎え入れることとする。孫休は三度辞したが受け入れ、登基。孫綝が丞相となる。孫休は在位中、良制を布き呉の繁栄を促進する。文才には恵まれたが、武功はなく永安七年(西暦264年)には巴蜀に攻め入るが連戦連敗している。同年7月に病没。
  天子墓、俗称は独家墩。規模は大きいが度重なる盗掘で、1984年に発掘調査されたときにも出土した物は少なかった。当涂県誌には「天子墳孫休墓だと疑われる」と記載されているが、定かではない。一説では孫登だとも言われているが、一般的には、孫休の陵墓である定陵だとされている。1982年10月25日公布、当涂県重点文物保護単位。

【探訪後記】
  ネット上ではかなり有名な文章である「三国人物埋骨何方」に、孫休墓の記載がある。しかし当涂にあるとだけ書かれており、それ以外の情報が全くなかった。最近になってちょっと調べてみると、当涂県誌には確かに三国呉景帝陵の記載があり、洞陽という地名が見られた。ただ伝説であって、考古学的に確証を得られたモノではないということだ。中国のネットでさらに調べると出てきた。天子墓だ。これが孫休墓といわれている塚だ。地図で確認すると、必ずバスが通っていそうな場所だし、訪れるのもそんなに苦労はしそうにない。訪れる機会を狙っていた。
  今回、やっとまた馬鞍山あたりまで来る機会を得たので、さっそく訪れてみることにする。まずは馬鞍山から当涂まで。久々の人民級バスだ。乗っている人民もやはりすごい。そして車掌の人民ババアもすごかった。釣りを返さない。「おらおら、なんで釣りださないんだよ」と詰め寄ると渋々だしてきた。私が都会から出てきたお坊ちゃまで、ほんの僅かな釣りくらい気にしないとでも思ったのか。それはさておき、当涂でバスを乗り換える。そして目的地へ到着。調べた情報では公路からでも見えそうな場所にある感じ。ちょっと歩いて人民に聞くとすぐに見つかった。でも工場の敷地内のような感じ。幸いまだ工事中のようで、中へ入れるようだ。工事をしている人民の目をちょっと気にしながら、中へ入っていく。特に何も言われない。そして天子墓に到着。一度、工事で破壊されそうになったらしく、文物局からお咎めを食らった後に保護されたそうでなんとか墓らしく保存されている。それでも周りはゴミだらけ。この工場の工事が終わってしまうと工場の敷地内になってしまうだろうから、今後は訪れるにも苦労しそうな遺跡になってしまいそうだ。誰でも入られるように通路をつけるってことも絶対にしないだろうからな。

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