三国遺址探訪:三国志遺跡をおもいっきり巡る旅にでよう!
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更新:2010年10月12日
遺址名
【所在地】
 武山県四門鎮新庄村
【行き方】
 武山から1路バスに乗り洛門汽車站で下車。東北へ約240m行ったロータリーを東南へ約250m、洛門賓館の近くから四門行きのバスに乗り、終点で下車。そこからさらに南へ約2.6km進むと新庄村。村入口の橋を渡り、村の東北側から裏山へ少し登ると到着。天水からは南湖にて武山行きに乗れば、洛門で下車できる。

写真
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魏
呉
蜀
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【訪問時期】
 2010年10月2日

【ピンイン】
 páng dé mù

【関連人物】
 龐徳

【ちょこっと解説】
  龐徳、字は令明。雍州南安郡貆道県(現在の甘粛省武山県四門鎮新庄村)の人。若き日は郡吏などに従事。漢初平年間には馬騰に従って羌、氐などの外族を鎮圧、校尉となる。後の建安十七年(西暦212年)には、曹操が渭南において馬超を撃破、龐徳は馬超に付き従い漢陽へ逃れ、冀城を守るようになる。建安十九年(西暦214年)には、馬超が張魯に投降、龐徳も共に漢中へ。建安二十年(西暦215年)、曹操が漢中を平定すると龐徳は投降。龐徳の武勇を聞いた曹操は龐徳を迎え、義将軍関門亭侯に封ずる。建安二十四年(西暦219年)、樊城において関羽と戦う。関羽軍の猛攻撃と大雨による洪水の中、小舟に乗って抵抗を続け退却を試みるが、小舟が転覆し捕虜となる。龐徳は曹操への忠義を貫き、降服を拒否、関羽によって斬首となった。龐徳の忠義は高く評価され、後に曹丕から壮侯と謚されている。
  龐徳墓、龐徳の死後、故郷の家人が衣冠塚をもって龐徳を祀ったのが始まりとされる。村東側の小高い山の中腹にある衣冠塚。墓前には、民国三年新庄村立「三国名将龐徳墓」の碑がある。この碑はコンクリートで複製されたもの。元の碑は文革時代に破壊されたので残っていない。

【探訪後記】
  龐徳墓、ネット情報では村の裏山にあるとのこと。龐徳故里の碑を見た後、村の奥へ入っていく。聞き込みはやはり人民おっさんにするのがセオリーだ。しばらく歩くと牛飼いの人民おっさんに遭遇。「龐徳墓ってどこにあるの、裏山にあるらしいけど」と聞いてみる。でもこの人民おっさん、知らなかった。目の前には人民おばちゃんが二人ほど。でも人民おばちゃんに聞いてもいい結果が得られることは少ない。他の人民オヤジを探してみるか。と、人民おばちゃんが何やら言っているぞ。「あの人、龐徳墓を探しているんだよ。」って聞こえてきた。なんだよおばちゃん、もしかして知っているのかい。遺跡探しのためなら藁にもすがりたい。人民おばちゃんに聞いてみると「裏山にあるわよ。そっちの方から登って行きなさい。」と行き方を教えてくれたではないか。この村では人民おばちゃんの方が物知りなのか。さっそく行ってみる。裏山にあるといってもそんなに登らなくてもよかった。草むらの中に小さな石碑があるのだが、すぐに見つかった。う~ん、それでもやっぱり見つけると嬉しいもんだな。

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