袁紹墓近景。
封土は巨大。さすがに袁紹の墓と言われていることだけはある。
文物碑: 1993年7月15日公布 河北省重点文物保護単位「前高龍華古墓(袁紹墓)」
基本情報
【訪問時期】2013年11月2日
【関連人物】袁紹
【文物保護】1993年7月15日公布 河北省重点文物保護単位「前高龍華古墓(袁紹墓)」
ちょこっと解説
 前高龍華古墓、東西52m、南北36m、高さ8m、典型的な漢墓。言い伝えでは袁紹墓とされている。もともとは大墓と小墓の二基あったのだが、小墓は1956年に崩落し、農業用に土が採取され消滅。大墓は現存している。1995年には、墓の東南200m、地下3mの場所で青磚が積まれた流水溝が見つかり、方向は墓に向かっていることから、墓の排水溝だと考えられている。2009年5月、2010年3月と盗掘された形跡が確認されている。掘られた穴は村民によって埋め戻されている。
探訪後記
 袁紹、さすがに大物の墓だけあって、かなり前からその存在はわかっていたのだが、なかなか訪れる機会がなかった。徳州から列車に乗って滄州に到着。事前の調べで、高川行きのバスは西バスターミナルから出ているとのこと。市バスに乗って、さっそく行ってみる。そして窓口で「高川まで」と言ってみたが、答えは「ここから高川行きは出ていない」だった。やはり中国ネット情報、知ったかぶりして適当に答えている人民に騙された。仕方ないので、近くの街までのバスに乗り込む。そして滄州の街外れまで来ると、バスが停まった。ここでも客引きをするらしい。外を見るとバスがけっこう停まっている。行き先を見ていると「あれ、高川って書いてあるじゃん」と一台のバスを見つけた。どうやらここからバスが出ているようだ。ここで乗り換えてもよかったのだが、先のバスの料金が勿体ないので、このまま進む。方向は同じだから、途中で乗り換えればいい。そして高川へ行く分かれ道で下車、バスを乗り換えた。高川行きバスも本数が多いようで、あまり待つことなく。高川に到着後、徒歩で前高龍華村へ向かう。今じゃスマホで百度地図を見ながら進めるので楽だよな。どんどんと進んでいき、もうすぐ村だなと思ったところで道路脇を見ると、「ありゃ、文物碑だよ。もう着いちゃった」と気が抜けるほどあっさりと到着してしまった。けっこう大きな塚だ。裏へまわってみると盗掘されたのだろうか、かなり大きくえぐられている。周辺には植樹されているので、墓の全体像が撮りづらい。新しく立てられたと思われる文物碑には、ご丁寧に(袁紹墓)ですか。なかなかいいツボを突いておられるようで。
関連遺址
袁紹衣冠墓
袁紹衣冠墓

[ 高密 ]
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】河北省滄県
【 タグ 】袁紹
【公開範囲】都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年7月10日 10:40
【更新日時】2019年1月12日 19:33
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