記念碑には「三国東呉 魯粛墓遺址」と刻まれている。
記念碑の裏面。魯粛墓遺址の説明書きがある。
基本情報
ちょこっと解説
魯粛、字は子敬。臨淮郡東城県(現在の安徽省定遠県永康鎮)の人。地方の豪族、裕福な家庭に育つ。後に居巣の周瑜と共に孫策の元へ。孫策の死後、孫権に重用され数々の功績を挙げる。漢建安二十二年(西暦217年)に病死。
魯粛墓遺址、墓前には「後漢東呉魯大夫墓」の石碑が残っていたが、学校敷地内にあったため、墓とともに消滅した。1993年に魯粛墓は北固山へ遷されるが、翌年7月に鎮江市第一中学が遺址に記念碑を立てている。
魯粛墓遺址、墓前には「後漢東呉魯大夫墓」の石碑が残っていたが、学校敷地内にあったため、墓とともに消滅した。1993年に魯粛墓は北固山へ遷されるが、翌年7月に鎮江市第一中学が遺址に記念碑を立てている。
探訪後記
中学校内という難しい条件、門衛に頼み込んでなんとか墓跡まで案内してもらえた。学校内というのは本当に曲者で、なかなか入ることが難しい。ただ門衛も頼み込まれると嫌とは言えない人が多いようだ。
2度目に訪れたときは、中学校が外国語学校に変わっていた。しかし、門衛は相変わらず。なかなか入れてもらえない。粘っていると職員室に連絡して「日本人が来ているんだけど、入れてもいいか」と聞いてくれた。先生からの許可が出たようで、中へ入ることができた。いや、確かに邪魔しているんだけどね。すんません。
2度目に訪れたときは、中学校が外国語学校に変わっていた。しかし、門衛は相変わらず。なかなか入れてもらえない。粘っていると職員室に連絡して「日本人が来ているんだけど、入れてもいいか」と聞いてくれた。先生からの許可が出たようで、中へ入ることができた。いや、確かに邪魔しているんだけどね。すんません。
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