東観稼台には民家が立ち並び、台地状の地形が残るのみ。
文物碑: 1982年7月公布 亳州市重点文物保護単位「東観稼台」
文物碑の裏面には説明書きが。
基本情報
【訪問時期】2005年11月26日 / 2008年5月27日 / 2015年12月30日
【関連人物】曹操
【文物保護】1982年7月公布 亳州市重点文物保護単位「東観稼台」
ちょこっと解説
 東観稼台は曹操が当時、故郷のここ譙(現在の安徽省亳州市)で屯田制を推進したときに建てられた遺址である。亳州にはもう一つ、仙源路あたりに西観稼台があったとされ、かつて曹操が北方平定の戦いの最中、兵糧問題を解決するため、自ら耕作状況を監督し、成果を見守った場所。
 宋代以前には東西観稼台の両台上に寺院が建立されており、明成化元年(西暦1465年)には東観稼台上の寺院跡に大燕寺、明成化七年(西暦1472年)には西観稼台上の寺院跡に崇興寺が建立されたが、現在はすでに残っていない。
探訪後記
 亳州のバスターミナルで買った地図に記載されており、すぐ近くなのであっさりと到着。台の上には民家が建ち並んでいるようで、文物碑の周りでは人民がたむろっていた。写真を撮り始めると不思議そうな顔をされる。人民はここがどういう場所だったかを知らないのか。西観稼台は原形を留めていないらしいが、重点文物保護単位に指定されているので文物碑くらいあるかもしれない。今度、探してみよう。
関連遺址
西観稼台
西観稼台

[ 亳州 ]
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】安徽省亳州市
【 タグ 】曹操
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年8月13日 19:33
【更新日時】2019年1月12日 20:22
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