西観稼台の方はそれらしい台が残っている。
近年修復される前はレンガを焼く窯として使われていた。
文物碑: 1982年7月公布 亳州市重点文物保護単位「西観稼台」
2008年は周囲にビルを建てる工事をしていた。
基本情報
【訪問時期】2008年5月27日 / 2015年12月31日
【関連人物】曹操
【文物保護】1982年7月公布 亳州市重点文物保護単位「西観稼台」
ちょこっと解説
 東観稼台は曹操が当時、故郷のここ譙(現在の安徽省亳州市)で屯田制を推進したときに建てられた遺址である。亳州にはもう一つ、仙源路あたりに西観稼台があったとされ、かつて曹操が北方平定の戦いの最中、兵糧問題を解決するため、自ら耕作状況を監督し、成果を見守った場所。
 宋代以前には東西観稼台の両台上に寺院が建立されており、明成化元年(西暦1465年)には東観稼台上の寺院跡に大燕寺、明成化七年(西暦1472年)には西観稼台上の寺院跡に崇興寺が建立されたが、現在はすでに残っていない。
探訪後記
 東観稼台の方は地図にも記載されていて、かなり有名なのだが、西観稼台の方は、あるのかないのかはっきりしなかった。「東があるなら西もある」と言うことで、今回、探してみることにした。大体の場所はわかっていたので、近くで聞き込みをする。売店のおっさんが「あぁ、すぐそこにあるぞ。あっちにも何かあったな」と言う。とにかく行ってみることにした。工事現場の中に、塀で囲まれた何やらそれらしきものを発見。草や木が覆い茂り、ウ○コだらけ。奥の方へ入ってみると、煉瓦で造られた構造物。中心には大きな穴。「なんだろうここは」と思ったが、違う場所だと思い外へ出る。もう一カ所の場所を探しに行くが、どうも「明王台」のことを言っているらしい。近くでもう一人、人民おっさんに聞いてみる。「西観稼台、以前は寺があったんだが、その跡地に窯を造ったんだ」と言う。「窯だって。じゃ、さっきの場所は窯跡だったんだ」と脳裏をよぎる。そしてもう一度、工事現場へ。塀の周りをよく見て歩くと、土に埋もれた文物碑らしきものが。ぶっ倒れているが「西観稼台」と刻まれている。やっぱりここだったんだ。
関連遺址
東観稼台
東観稼台

[ 亳州 ]
位置情報
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投稿情報
【カテゴリ】安徽省亳州市
【 タグ 】曹操
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2016年8月21日 22:20
【更新日時】2019年1月12日 20:23
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