街外れに立つ「三国奇才魯粛」の像があるのみ。 魯粛像の近景。なかなか雰囲気はでている。 基本情報 【訪問時期】2008年5月23日 【関連人物】魯粛 【文物保護】– ちょこっと解説 魯粛、字は子敬。臨淮郡東城県(現在の安徽省定遠県永康鎮)の人。地方の豪族、裕福な家庭に育つ。後に居巣の周瑜と共に孫策の元へ。孫策の死後、孫権に重用され数々の功績を挙げる。漢建安二十二年(西暦217年)に病死。 探訪後記 2006年に江蘇省泗洪県の子敬泉へ行っており、そこが魯粛の故郷だというのが主流なのだが、それ以前からここ定遠が魯粛の故郷だとの話しもある。史書に臨淮郡東城県と記載されていることがその根拠らしいのだが。まあ、一般的に◯◯郡◯◯県と書かれていると、その治所がある場所が故郷だということにされてしまうようだ。だから史書の記載だけでは実際の正確な位置を知ることは難しい。定遠の街の北側に魯粛像が立てられており、なかなかかっこういい。でもなぜ永康鎮の方に立てないのだ。 関連遺址 魯粛故里[ 泗洪 ] 位置情報 在野の士であるあなたはこの位置情報を閲覧できません。仕官申請しますか。 投稿情報【カテゴリ】安徽省 定遠県【 タグ 】魯粛【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相【掲載日時】2016年11月23日 15:38【更新日時】2019年1月12日 20:19 いいね! 227