魏太和七年(西暦233年)に創建された曹植の墓。
曹植が葬られた本物の墓だとされている。
1980年代に新しく建てられた隋碑亭。曹植隋碑はこの中に。
曹植隋碑。隋開皇十三年(西暦539年)に刻まれたもの。
曹植隋碑が収められていた建物。
1978年、革命委員会が立てた文物碑。現在は使われていない二簡で「曹子建墓碑」とある。
魚山曹植墓の大門。
文物碑: 1996年11月20日公布 全国重点文物保護単位「曹植墓」
基本情報
【訪問時期】2006年9月22日
【関連人物】曹植
【文物保護】1996年11月20日公布 全国重点文物保護単位「曹植墓」
ちょこっと解説
 曹植、字は子建。豫州沛国譙県(現在の安徽省亳州市)の人。曹操の五男。陳王に封ぜられ、諡号は思。詩人としての才能は群を抜く。このため父曹操に溺愛されるが、曹操亡き後、兄曹丕との後継争いに敗れ冷遇される。安郷侯、鄄城侯、雍丘王、浚儀王、雍丘王、東阿王、陳王と転封され、各地を転々とする。太和六年(西暦232年)に失意の元、陳郡(現在の河南省淮陽県)で病没、東阿(現在の山東省東阿県)の魚山にて葬られる。
探訪後記

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位置情報
【所在地】山東省東阿県魚山鎮魚山村
【行き方】東阿汽車站から魚山行きのバスに乗り、魚山で下車、南へ約500m。
投稿情報
【カテゴリ】山東省東阿県
【 タグ 】曹植
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2017年5月21日 17:11
【更新日時】2019年1月12日 20:32
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