畑の中にぽつんと立つ「漢蔡中郎墓」の石碑。
石碑の陰面にも、「漢蔡中郎墓碑」の文字が見て取れる。
基本情報
【訪問時期】2005年11月22日 / 2008年6月17日
【関連人物】蔡邕
【文物保護】
ちょこっと解説
 蔡邕、字は伯喈。兖州陳留郡陳留県(現在の河南省開封県陳留鎮)圉の人。東漢文学家、書法家。中平六年(西暦189年)漢霊帝崩御後、董卓が司空となり、名高い蔡邕のことを聞きつける。董卓は蔡邕を高く評価し、僅か3日間で御史、持書御史、尚書と昇格させ、巴郡太守、侍中となる。初平元年(西暦190年)には左中郎将を拝したことから、後に蔡中郎と称されることとなる。董卓は蔡邕を尚父と呼び敬った。董卓が王允等によって誅殺されると、蔡邕は董卓の死を悼む。王允は、蔡邕の博識を惜しみ漢史の編纂を続けさせようと考えたが、大尉馬日磾の反対により、蔡邕は獄死することとなった。
 蔡邕墓碑、現在、残されている碑は中華民国十一年「漢蔡中郎墓」。蔡邕の出身地については諸説があり、後漢書に陳留圉人と記述されているが、圉は現在の河南省杞県圉鎮鎮ではなく、「辺境」という意味で陳留辺境の地とする説がある。「河南通志」や「陳留県志」には「陳留西南桃花洞処沿有蔡邕之墓」と記載されており、蔡邕の故郷とされるこの地にあった墓は、1958年頃にはまだ存在していた。墓前には清代の墓碑が残されていたが、文革で消失している。
探訪後記
 成都交通飯店で知り合った友人の開封太郎さんを訪ね、開封へ行くことになった。そして二人で開封にある三国遺址を訪れることにする。第一弾は蔡邕墓碑だ。まぁ、ちょっとマイナーな人物ではあるがいいだろう。相国寺汽車站から、まず陳留へ。そこから歩いて行こうと言うことになった。陳留へ到着後、道を聞きながら進む。二人で歩いていれば、いろいろと話も出来るので疲れもでない。しばらく歩くと桃花洞の標識が見えてきた。もう800mだな。しかし、なかなかたどり着けない。実際にはもうちょっと距離があるようだ。村へ入って、人民に聞いてみると碑はちゃんと残っているらしい。言われた方向へ進んでいく。二人で「あれか、あれか」と言いながら。そして到着。いや、いつもは一人で探していたのだが、こうやって仲間がいると楽しいもんだ。成都交通飯店での思いがけない出会い。開封太郎さんには感謝感謝だ。
 ちなみに二回目は一人で。今回は碑の近くで人民おばちゃんが話しかけてきた。聞くところによると、蔡邕墓はもうちょっと離れた場所にあったのだが、すでになくなってしまったので碑だけをここへ移設してきたとのこと。なるほどね。こういう話はネットで調べていても載っていなかったので、地元人民の話に頼るしかないということだ。
関連遺址
蔡邕墓
蔡邕墓

[ 尉氏 ]
位置情報
在野の士であるあなたはこの位置情報を閲覧できません。仕官申請しますか。
投稿情報
【カテゴリ】河南省開封市
【 タグ 】蔡邕
【公開範囲】校尉 都督 大将軍 丞相
【掲載日時】2017年12月19日 18:25
【更新日時】2019年1月13日 08:37
Loadingいいね!148