袁紹のもとで、劉備が駐屯したとされる場所。
実際には、新石器時代の遺構だが、劉備が利用した可能性もある。
1963年6月20日公布 河南省文物保護単位「劉備台遺址」
基本情報
ちょこっと解説
劉備台遺址、長さ357m、幅106m、高さ8mの平坦な台地。元は、劉陂台と呼ばれ、台上には廟があり、橋なども架かっていた。実際には、龍山文化遺址である。
言い伝えでは、安城から蜀へ向けて進軍した劉備軍がここで駐留したとされる。また、建安四年(西暦199年)、劉備は曹操に求められ東征にでるが、これを意に介さず袁紹の元へ去る。その後、劉備は袁紹の命で二度汝南に駐留し、曹操の後を突こうと謀る。このとき、劉備が駐留した場所がこの劉陂台で、後に劉備台と呼ばれるようになったとされる。
言い伝えでは、安城から蜀へ向けて進軍した劉備軍がここで駐留したとされる。また、建安四年(西暦199年)、劉備は曹操に求められ東征にでるが、これを意に介さず袁紹の元へ去る。その後、劉備は袁紹の命で二度汝南に駐留し、曹操の後を突こうと謀る。このとき、劉備が駐留した場所がこの劉陂台で、後に劉備台と呼ばれるようになったとされる。
探訪後記
平輿に立ち寄った後、バスに乗り込んで汝南へ向かう。バスの中で人民オヤジと喧嘩したり。汝南に到着後、まずはこの劉備台遺址を探しに行くことにする。スマホのGoogle Mapを見ながら、近くの街へ行くバスを探す。バスターミナルの周りをウロウロしていると、発車したバスの中に馬郷行きがあった。乗り過ごして待つのも嫌なので、すぐに飛び乗る。ま、近くの街まで行けるから大丈夫だろう。しかし寒いな。馬郷に着いたはいいものの、この寒さでスマホのバッテリーがすでに切れてしまった。仕方ないので麺屋に入って食べ、ちょっとだけ充電させてもらう。馬郷から劉備台遺址までは歩いていける距離だ。プラプラと歩いていく。すると「劉備台遺址」文物碑が目に入る。お、二つもあるぞ。なかなかすごい。しかし、碑以外はただの畑が広がる台地なのだが。それでも満足かな。
関連遺址
小劉備台遺址
[ 汝南 ]
位置情報
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